宗教法人八百万神祇会、本庁巫覡課地鎮係、それが総合宗教相談事務所の二人が所属する宗教団体の本部に当たる。件の相談事務所から郊外に向かって自動車で二時間半ほどの距離にあるそこは、平たく言えば山の中であった。見渡す限り山、山、山、のその山を丸まる一つ擁する程の広大な敷地内には、本部棟と呼ばれる大きな鉄筋の建物と、同宗教団体が運営する学校法人や施療施設、そして団体の最重要施設の一つである、主祭神を祀る神社、御坐主大社が坐す。法人の主祭神はその山自体を御神体とする地祇、国津神と呼ばれる土地の神である。元々団体は「御坐教」若しくは「御幣教」と呼ばれる、氏神の祭祀を行う小規模な集団であった。彼等は自身の氏神を信仰するのと同時に、地方に散らばる小規模な神社の補佐をし、またその互助会のような機能を持ち、宗教団体となって法人化した現在でも、活動の主たるものは信仰に準拠するものというより、そうした事象の方が多い。また地方の私立大学の民俗学研究室などと合同で、日本各地にある民俗信仰の調査、研究、保護などにも力を入れている。教義に従って神に仕える、といったスタイルはごく一部にはあるが、その団体職員であっても信仰する宗教を無理やりに団体の教義に強制されることもなく、総務などの一般職にいたっては、全く宗教と関係ない生活をしている人間も少なくない。元々神道という信仰事体、他の宗教に比べてその拘束力は小さい。この八百万神祇会も、その性質から大きく離れてはいなかった。
「おっはよーございまーす、係長」
その本庁巫覡課地鎮係に、その朝御幣はいた。実のところ、彼の実家はその本庁から車で二十分ほどのところにあるのだが、現在は出先である宗教相談事務所に配属されているため、そちらの近くで一人で暮らしている。地鎮係係長、誉田八郎はその声に顔を上げた。時計は八時すぎ、ごく普通の会社組織と始業時間に代わりのないその場所に、普段は見かけない顔を見つけ、誉田は何の気なしに問いかけた。
「どうした、鼎。こんな朝っぱらから」
「んー?ちょっと用があって、って言うか、神和くんが朝こっちに来るようなこと言ってたから、じゃあ僕も、って思って」
にこにこと人のよさそうな、というより、年齢の割りに幼すぎる顔で笑って御幣は答えた。誉田はその言葉に目をぱちくりさせ、
「は?辰耶が?俺は会ってないぞ?」
言うなりその眉をしかめる。そして、
「お前ら、また何かやらかしたのか?」
「またって、そういう言い方はひどいなぁ、八郎さん」
にこにこ笑ったままで御幣は返す。誉田との付き合いは長い。その為に上司と部下で、年も九つほど離れてはいるのだが、御幣の口調は気軽だった。誉田もそうしたことを気にする性分ではないらしい。露骨にその顔に感情を浮かべ、
「お前と辰耶がここに朝から顔を出すなんて、そんな時くらいしかないだろう。俺の胃に、そんなに穴が空けたいのか」
「またそういう被害妄想なこと言うんだから。まあ、ちょっとは当たってるかもしれないけど」
どこか苦しげな誉田の顔つきに御幣は困った顔で返す。ワイシャツにネクタイ、そしてそのシャツの袖のだぶつきを止めるためのアームバンド、といういでたちの誉田は、品のいいソフトスーツをそれなりに着ている御幣の方をじろりと睨み、その顔に疲労と悲哀を浮かべて言った。
「鼎、お前、俺が苦労してること、解ってるよな?」
「まぁ、年の割りに苦労性だよね、八郎さんてさ」
「解ってるならもっと俺のことを気遣ってだな……」
「でもそれ、僕と直接関係ないじゃない。っていうかアレでしょ?僕を誉田さんの下に置いたのって、誉田さんに僕の見張りさせようっていう部長の考えなんでしょ?僕が悪いんじゃないよ」
けろっとした顔で御幣はあっさり言った。本田はその言葉にあわてて辺りを見回し、今度は顔面蒼白になって、
「お、おい鼎、そういうことは……」
「まあ部長や少宮司でも、下手したら僕のこと止められないから、しょうがないかもしれないけどさ。無責任だったり加害者だったりするのって僕じゃなくてそっちじゃない?」
対して、にこやかな表情を崩しもせずに御幣が言った。誉田は真っ青な顔色をとりあえず元に戻しはしたが、朝っぱらからやたらの疲労感を顔だけでなく全身に漂わせ、その場で大きく嘆息した。そして、
「それで……一体何をやらかしたんだ?今度は」
諦めでもついたのか,改めて御幣に問いかける。御幣はその目をしばたたかせ、それからちょっと困った思案顔になると、
「うん、昨夜、って言うか、時間的には今日の夜明け前なんだけど、ちょっと仕事して。一応僕が術式壊すようなことしたから、報告しなきゃ、と思って……」
「何をやったんだ、それで」
腕組みして、天でも見るような顔になった御幣に、誉田は更に問う。御幣は目の前の彼を見ないまま、
「詳しく話すと長くなっちゃうんだけど、屋敷神のヒトが人為的に追い出されててさ。折り符で作った見立ての鏡と、何か変な結界が張られてて、鏡は神和くんが撤去して僕が破って、それで終ったんだけど、現場の結界壊したときに、ちょっと地震みたいになっちゃって」
あはははは、と言葉の後、御幣が笑う。誉田は七面鳥の如く顔色を変えた。再び真っ青になって、
「地震みたいになった、だと?」
「いやぁ、ちょっと力が絞りきれなくて……その結界に使われてた呪具が人んちのボイラーに泥でくっつけてあって……夜中に余所の家の塀乗り越えてそのボイラーのそばまで行くのも何だしと思って、遠くからこう、ひゅって投げたりしたら……あれ?誉田さん?」
言葉が終るより前に、誉田の顔は下を向いていた。何やら全身が震えているようでもある。わぁ、怒ってるのか泣いてるのか、解んないなぁ。胸の中だけで御幣は呟く。そして、それでもなお、そんな彼を前に言葉を続けた。
「それで、あの辺の霊気とかそう言うのが多少ぶれたりしたと思うから、一応報告に来たんだ。僕が原因でそうなったって解ってたら、もし何かが起こってこっちに連絡が来ても、処置しやすいでしょ?」
しばし、誉田はその場でその顔を伏せていた。御幣の言葉が終って数秒後、彼は、胃の辺りを片手で押さえ、ようやく顔と体を起こす。顔色は良くない。が、先程よりは人間らしい色をしている。
「……八郎さん?」
どうして黙ってるんだろ、やっぱり怒ったかな。思いながら御幣が呼びかける。誉田はその場でふー、と息を吐くと、それまで硬くなっていたその表情をわずかに緩めた。
「……何、その「ふー」って」
「お前にもそういうことが考えられるようになったかと思って、ちょっと安心したんだ」
御幣に問われて、正直に誉田が返す。とたんに御幣はその眉をしかめたが、誉田は打って変わって冷静な顔つきになり、
「解った、何かあったらこちらも動くし、お前達にも連絡する。今のところそういう情報は届いていない。だが……人為的に屋敷神が、と言ったな?今」
そう言って今度は、先程とは別の意味合いで、その眉を寄せた。怪訝そうなその顔を見、御幣も困ったように息をつく。
「うん……ひどいんだよ、これが。出かけてる時に家に戻れなくされた感じで……住んでる家の庭に祠があったんだけど、それも壊されてて……そこの家の女の子が、わざわざ増ヶ崎の伝なんか頼って僕らのところに依頼に来たんだ。何か……けなげだよねぇ」
さも悲痛そうに御幣が言う。誉田は御幣の言葉を聞き終わると、眉を解かないまま、腕組みして静かに息を吐く。
「何だか妙なことが起こってるみたいだな、そっちも」
「そっちも、って……何?ここにもそう言う話、来てるの?」
誉田の呟きに御幣がわずかに顔を上げる。誉田はそちらを見ず、難しい顔のままで問いに答えた。
「そのまま、って訳じゃないが……三日くらい前にうちが請負って地鎮祭をやった神社があるんだが……そこもそんな感じに荒らされててな」
「え?屋敷神とかそういう小さいレベルじゃなくて、神社で?」
「と言っても、そこも大した規模じゃない。山の中の八幡宮の分祀だったが……全くのもぬけのカラで、いるはずのないような雑多な霊がたむろしてた。勿論祓わせて、元の八幡神には戻ってもらったが」
誉田の言葉に御幣は唸る。それを見て誉田は困ったように笑い、
「俺達が受けた仕事だったから良かったよ。他の同業者や、巫覡でない体質の神職が下手なことをやらかしたら、後で何が起こるか解らんからな」
「って、でも、これって偶然っぽくないよ?多発してたらどうすんの?」
いぶかって、危機にでも対するように御幣は言う。誉田は苦笑を浮かべた顔のまま、
「そうは言われても、俺達だって何の依頼も指示もなしには動けないからな。ひどいことになる前に、そういうのが届くのを願うばかりさ」
「……それって、無責任じゃない?係長」
「余所のことに下手に首を突っ込むのもどうかってところだよ。確かにうちは拝み屋だが、頼まれてもない仕事は出来ない。ま「御坐主神宮」の分祀で事が起こってりゃ、話は別だが」
苦笑交じりの誉田の言葉に御幣は黙り込む。それを見て誉田は更に、自嘲気味に言葉を続けた。
「俺達に出来るのは「橋渡し」だ。「大きなお世話」までは出来ない。幾らお前みたいなお人よしでも、それくらい解るだろ?」
「……僕は別に、お人よしじゃないよ」
御幣はその言葉に不貞腐れる。ははは、と軽く誉田は笑い、そうしてから不意に話題を変えた。
「そう言えば辰耶はどこなんだ?まだこっちには来てないが……」
「あー……僕もまだ会ってないんだけど……おかしいなぁ、夜、帰り際には、朝イチでここに来るって言ってたんだけどなぁ……まだ部屋で寝てるかも……」
辺りを見回す誉田の言葉に御幣もその表情を変えた。そしてわずかに考え込むようにして、
「そう言えば誉田さん、今日、松浦は?」
「ああ……対処課の助っ人に呼ばれて、ちょっと出ることになって、準備で本殿に行ってるが……」
問われて、誉田は何気に答える。が、すぐにも何やら納得した顔になる。御幣はいつもの、どこか飄々とした顔になると、
「じゃあ匂いでも嗅ぎつけて、先に松浦に会ってるかもね」
「……かもな」
言ってすぐ、御幣はきびすを返した。誉田は苦笑を浮かべて、
「そういう理由でなくても、たまには本殿に顔くらい出すように言っとけ、辰耶に」
「僕に言われてもねぇ……大体彼、あそこあんまり好きじゃないんじゃない?庭中に集まって来るいろーんなヒトに絡まれてさ?この間も本殿の神様にセクハラされた、とか、死にそうな顔で言ってたよ?」
「そうは言うが、あいつは国内でも稀なほどの「神々の愛児」だぞ。自分のいる宗教団体の主祭神にくらい、いい顔してもばちは当たらないだろ」
「いやぁ、どうかなぁ。うちの神様、余所のヒトと比べてもワガママ加減が人智超え過ぎだから」
「それもそうだな」
人事なので誉田は笑いながら、御幣は顔色一つ変えず、人事のように二人は言う。そのまま御幣は軽妙な足取りで歩き出し、ついでのように振られる手を、誉田はその場で見送った。
杜は、いつも通りにひっそりと静まり返っていた。それは人の手によって人為的に作られ、また保護されていたが、聖域としての機能を立派に果たしていた。植えられた木々は管理の必要以上に伐採されることもなく、いつのころからかその杜に集まり、住まうようになった獣たちは、全く狩り出されることはない。奥には神の坐す宮が営まれ、日々この地に在る神を祭っている。茂る枝は時折風に遊ばれ、地面に落ちた木漏れ日は踊るように揺れた。鳥達は思い思いに歌い、時折、獣の声さえも響く。その杜は、清浄を包んでいた。それがそこに立つ木々のためなのか、そこにある神のためなのか、それともその神のために人の行う祈りのためなのか、それは定かではない。ただ神聖であること、それだけは変わらない。神の狭庭、と人は呼ぶ。御坐主神社と言うのがその庭を擁する宮の名称だった。祭神は神宮の背後に広がる山すその、その山の神、御坐彦尊、時に大御坐彦とも呼ばれ、土地に住まうもの総ての守り神である。
杜は、その道を白い砂利で敷き詰められていた。参道の真ん中を歩むのは神のみと言われ、人がそこを進む時は神の往来を妨げてはならない。故にその白い装束の人物は、参道の右隅を歩いていた。早すぎないペースで玉砂利は踏みしめられ、その度にさらさらと歌う。水の流れにも似たその音に、心さえ洗われる。足音の主はそんな事さえ思いながら歩みを進めるが、不意に道の途中で足を止めた。肩に届くほどまで伸ばし、首の後ろで一つにくくった黒髪がかすかに揺れる。眼先には、その白い装束とは対照的に、頭から足の先まで真っ黒の人影があった。それまで穏やかだったその表情が、かすかに色めく。黒い人影は一本の大杉にもたれかかった格好で、その白い装束に向かって軽く手を上げた。
「よ、千五穂。元気か?」
「……神和」
余り高くはないがさして低くもない、その声は若い女のものだった。大杉にもたれていた黒い人影、神和はいつも通りのいでたちで、やはりいつものようにその顔にサングラスを載せて、口許だけ覗いた顔でにやりと笑って見せる。白い装束の若い女性はそれを見るとどこか険しい顔になって再びそこから歩き出した。
「今から本殿か?本庁の朝礼は?」
「もう済んでいる。そういうそちらは、何をしに?」
「何って……千五穂に会いに」
自分のそばを通り過ぎていく彼女をほんの少し見送って、神和はそれを追う様に歩き出した。玉砂利は二つの音を交互に鳴らし、再び歌い始める。その歌だけが暫く辺りに響くと、神和は口許を元よりも不機嫌にゆがめて溜め息を吐く。
「って、またそういう反応かよ?冷たいな」
「そうとは、何がだ?」
「いやだから……俺が何しに来たのか、って、そういう……」
「お前もうちの職員だろう。しかも「審神者」という美称で呼ばれるほどの巫覡だ。ここに来る事に何の不思議もない」
彼女は冷たく言い放つ。その顔が横に見える位置にまで追いついて、神和は黙ってそれを見やる。白すぎない肌、薄い唇。目元は多少きつめだが、鋭すぎないほどに整っている。女顔の自分とは違うが、こいつもかなりレベルが高いよな、これで笑ってくれると本当に幸せなんだけどな。胸の内、神和は呟き、それが漏れたかのようにそこで溜め息を吐く。彼女はきりりとした横顔を向けたまま、全く振り返ろうともしない。松浦千五穂、某地方の神道家の出自で、本庁巫覡課地鎮係に所属する巫覡の一人だ。性格、真面目、趣味、仕事、とでも言えるような硬いタイプで、要するに隣を歩く男とは正反対と言える。
「……なぁ、松浦」
「何だ」
ざくざくと玉砂利を踏みしめる音だけが辺りに響く。それ以外に雑音もないその場所で、たまりかねて神和が口を開く。が、すぐにもそこに沈黙は戻った。会話らしい会話はなかなか成立しない。ネタを探して神和は思案し、小さく唸ってからこう言った。
「お前って……やっぱり俺のこと、嫌いなわけ?」
「別に」
「別に、って……」
余りにも冷たいその答えに神和は首を垂れる。二歳年上の彼女とは高校生のころからの知り合いだ。友人、と言えるほどに親しくもないが、付き合いはそれなりに長い。職場では一応同じ部署にいて、机を並べていたこともないわけではない。なのに何だか彼女は、彼に冷たかった。でもその冷たいところも、こいつの魅力って言ったらそうなんだけどな。胸の中だけで、負け惜しみでしかないのだが、神和は呟く。きりりとした横顔は微塵も動かず、もう少し笑ったら、いや笑わなくてもそうだが、綺麗だと思ったのはいつだったか。思いながら、黙って神和はその顔を見つめ、少しの間を置いてまた口を開いた。
「そんなナリで本殿に行くって事は、何だ、また仕事か」
「対処課の応援を頼まれた。万全を期さないと危ないから」
「そーかねぇ、お前の実力なら、そんなに心配しなくても大丈夫だろ」
高すぎない声は淡々と言葉を紡ぐ。淡々としているために、怒っているのかそうでないのか解らないのかも知れない。しかしどうあれ、それは耳に心地良い。そばに置いておきたいが、そう言ったなら彼女はどんな顔をするだろう。思って神和は一人、苦笑を漏らす。それに気付いて、ちらりと彼女はそちらを見た。そして、
「何だ、どうかしたか?」
「いや、別に。俺って本当に趣味のいい男だと思って」
「年中黒しか着ない男の、どこがいい趣味なんだ?」
「いや、そーゆー趣味じゃなくて、なんつーかこう……松浦が」
「は?」
訳が解らない、と松浦は眉をしかめる。くすくすと神和は笑うと、
「何でもないよ。ただ、松浦は本当にいい女だなーって思っただけだ」
「人外レベルの美形に言われても、説得力がないな」
何を言っているのか、そんな風に思いながら松浦は溜め息とともに言葉を返す。言われて、神和は眉をしかめた。
「そんなことないぞ。俺なんかより、お前のほうがよっぽど綺麗だ」
「いつか本部棟で「世界最高の美形巫覡」とか、言っていたじゃないか、自分で」
「それはそれ、これはこれ……」
「前々から言っているが、人を褒められる立場かどうか、もう少し考えてみた方がいい。皮肉にしか聞こえないと思う女が、多分五万といるはずだ」
「……なんで?」
ややきつめに松浦の声が聞こえる。どうしてだ。思って神和は眉をしかめた。振り返りもせず、ちらりとも見ず、松浦は黙ったままだった。神和は眉をしかめたまま、そんな彼女に更に言った。
「そんなこと言われても、俺は松浦よりいい女になんて会ったこともないし、お前を綺麗だって言うのの、どこが悪いんだ?」
「……もういい、勝手にしろ」
何やら彼女は少々不貞腐れているようである。また怒らせたか。思って神和はわずかにしょげる。叶う事なら、滅多に会えないのだから、もう少し親しみを覚えてもらって、何か楽しい会話でも、と思うのだが、どうも彼女相手だと上手くいかない。そんなに嫌われてるのか、俺って。ちょっぴり哀しくなりながらも、神和はその隣を歩き続ける。松浦はそれから全く口を利かず、また暫くその場に沈黙が下りた。
「あ、松浦、おはよー」
玉砂利の道が、終わる。杜の奥、神殿前の鳥居に辿り着くと、そこには既に先客があった。白装束の松浦はその目を見開き、その側らの神和はどこか忌々しげにケッ、と小さく吐き捨てた。
「御幣」
「ついでに神和くんも、おはよー」
いつもと変わらないにこにこの笑顔で言って御幣が手を振る。神和はそんな御幣を見て露骨に眉をしかめ、とげとげしい口調で言った。
「なんでお前がここにいる?」
「それって君じゃなくて僕の科白じゃないかなぁ?」
にこにこ笑顔のままで御幣は返す。神和はそれ以上何も言わず、むっつりと唇を結んだ。松浦はそんな二人を見て、その首をわずかに傾げる。それにまるで構わないように、御幣はそんな彼女に問いを投げた。
「何、松浦。お祓いでもするの?」
「ああ……仕事で、少し出るから」
「出るってどこに?」
「まだ詳しくは聞いていない……対処係の応援らしいが」
言いながら、二人はごく自然に再び歩き出す。しかめた眉をさらに歪めるようにして、神和は黙ってその後に続いた。はっきり言って、目の前の光景は気に入らない。ついさっきまで自分に対してつっけんどんにさえ見えた彼女は、御幣とは、ごくごく普通に会話するのだ。心中複雑、どころの話ではない。どちらかというと単純なのだが。
「対処係の、ねぇ……って言うか、そういう人間の配置ってどうなんだろうね。松浦とか誉田さんが地鎮担当って絶対不適切だよ」
「そうかな。私より、御幣の方がそれは言えると思うが」
「うーん……まあ僕なんかは色々問題がありすぎて、島流しだからねぇ」
三人分の足音が杜に響く。次第に、本殿と呼ばれるその社殿が近づいて、やがて三人はその前で足を止めた。御坐主神社の造りは、神社建築と言うより、平安貴族の屋敷を模した作りに近い。神殿、拝殿、舞踊殿、その他の建物の総てが高床の廊下でつながり、神殿と拝殿の間には大きな池を擁した庭園までもが作られている。本殿と呼ばれるこの場所には常時神職が駐在し、社務所、というよりも対の屋と言った方が相応しい居住区には、十数名の巫女達までもが暮らしている。
「なんか久し振りにここまで来たから、神様にちょっと挨拶でもしていこうか。ねえ?神和くん」
その社務所入り口前で御幣がのんきに言う。神和は軽くも重くもない息をつき、
「俺はいい。あいつに関わると面倒だ」
「ここまで来てそういう言い方しないの。君なんて、神様あっての美貌でしょ?」
「何だそれは」
「だってほら「審神者」じゃない方の通り名って、そんな感じじゃない?「神様の愛人」?」
「「神々の愛児」だ。それに、通り名じゃない」
むっとしたまま神和が返す。神々の愛児。読んで字の如く、神という存在によく愛される人間を指す。人智を超えた存在は、殊に美しい容姿を好み、時として捧げものにそれを求める。中でも性別の判断が難しいほどの美形が好みで、時にはその人間の意志など関係なくかどわかしさえすることがある。世に言う神隠しだ。神和の容姿もそれに相当し、当然、それらの存在に良く好まれる。とは言え神なるものと人の感覚には大きな隔たりがあるため、美形が好きだ、と一口にくくれるわけでもないのだが。
「本当に、どうしてみんな神和くんみたいなのが好きなんだろうねぇ。神様なんだからもっと中身も吟味しなきゃ」
「何だその「神様なんだから」ってのは」
御幣の、冗談とも本気とも取れない言葉に神和は首を傾げる。御幣は笑いもせずに、
「だってさ、君、他に取り柄がほとんどないじゃない。そういうのが好き、って、神様に言われたら、何て言うか、倫理的にあんまり良くないでしょ」
「あいつらにそんな倫理もくそもあるか。大体やつらは人間のヒナガタだぞ。美しいものが好きでどこが悪い」
返す神和の言動は、やや怪しい。というより半ば自己愛が滲んでいる。御幣は呆れたように、
「だってさ、松浦。自信過剰だよね」
そう言って側らの彼女を見遣る。松浦は苦笑を漏らし、
「さて、どうだろうな。神和は確かに、あの方々に気に入られている。それを認識していないと危険なこともあるだろうし」
そう言って再びそこから歩き出そうとする。御幣はそれを目で追って、
「僕も一緒にお祓いしてもらってこようかなぁ……昨日ちょっとやらかしたし。神和くんはどうする?」
「俺はいい。まだ用もあるし」
「って何、まだ係長のところに行ってないの?朝一、とか言ってたくせに」
そんな風にまた小言めいた言葉が御幣の口から出る。神和は辺りを見回し、素っ気無い様子で、
「ああ……って、そう言えばなんでお前がここにいるんだ?」
「え?僕?君がこっちに顔出す、って昨夜言ってたから、来てみただけ」
問われて、御幣はあはは、と笑う。神和は眉をしかめ、不審の目を向ける、と言っても普段通りにサングラスをしている神和の顔は、そこに見えないが。
「お前、本当に俺のこと、信用してないな」
「そんなことないよ、僕も一応ここの氏子だったりするから、たまには神様拝んだりしないといけないし。ついでだよ、ついで」
言って、御幣は軽く肩をすくめた。そして、
「嘘だよ、君が係長のところに来てないって聞いたから、松浦のところかと思って、正面の鳥居じゃなくて本部棟から直行したんだ。何?実はいいムードだった?僕が来るまで」
冗談めかして御幣が言う。不貞腐れた顔で、神和、
「ああ、もうこれ以上ないいい感じだったよ!」
「へー、そうなんだー。じゃあ松浦にも謝っとこ。邪魔してごめんねー、って」
やけくそな神和の言葉の後、全く信じていない顔で言って御幣はきびすを返す。遠ざかるその背を見送り、神和はその場でケッ、と小さく吐き捨て、その場で髪をかきむしった。
神殿の庭は時に「狭庭」と呼ばれる。狭い庭、そこは神の社の前庭、神社などの敷地内を言い表す。その場は神域とも呼ばれ、常に清浄かつ静穏に保たれることを良しとされる。それはその場に存在するものがそれを好むからに他ならない。人はその場の清浄を保ち、その主の息吹を近くに感じ、神と通ずる。そしてそのために、その場所はその主の他の存在も多く呼び、時にそれらを住まわせる。その庭にも、違わずそうした存在が多く暮らしていた。木々の陰に、木漏れ日の間に間に、それは集い、遊び、潜み、隠れ、
「もういいかのぅ、行ったかのぅ」
「やれやれ、いったようじゃ」
「あ〜も〜、いつもいつも、あれは恐い」
さわさわと、かすかな声が神和の耳に届く。うんざりしたように彼はそこで息を吐いた。聞こえている声は次第に増え、やがて辺りに満ち始める。
「なんで審神者はあんなのと一緒なんじゃ」
「実はこっそり儂らが嫌いじゃな?」
声が大きくなる、というよりも、気配が強くなる。何物かが自分の周りに集まり始めるのを体で感じて、神和は言葉もなく息だけをついた。そこにいるものは、時折「地霊」と呼ばれる、小さな神々だ。この宮では「庭の方々」とも呼ばれている。八百万の、と言われるが、この国には恐らくそれ以上の神なるものが存在するだろう。そして自分は、その存在とよく通じ、また良く好かれる。わらわらと集まり始めたそれらは彼の体にまとわりつくように、足元に、あるものは頭の上に突然現れる。そして口々に、思い思いの事をしゃべり始めた。
「しかしお主は、本当にいつ見ても美人じゃのう」
「なんかこー、ちょっぴりかじったりしたくなるかのぅ」
「そんでもかじろうものなら、宮の巫女どもに叱られようがの」
「そーじゃのー。儂ら神様なのに、なんで叱られるんかのー」
振り払いもせず、特に答えもせず、神和はそのままそこに立っていた。ただ、かすかに舌打ちだけする。視線は動いて、茂る木々に向けられた。それでも周りの彼等は変わらない。特別注意を引こうというわけでもなく、また彼に興味がないわけでもないらしい。真ん中に神和を置いたまま、ただ好き勝手に会話をしたり、また回りを駆け回ったりしている。
「のーのー、審神者。審神者もずーっと宮に住め。したら毎日遊んでやるから」
「そーじゃのぅ。そしたら毎日遊んでやれるのう」
「遊ぶ?何して遊ぶ?「しかしかつの何本」とか?」
「せめて「とーりゃんせ」くらいせねば」
「でも「こわいながら」ってなんじゃ?」
きゃわきゃわと周囲がうるさくなる。しかしそれに神和は全く構わない。茂る木々の方をじっとにらみ、そして不意に言った。
「おい、そこでこっち見てるむっつりスケベ、出てこい」
低すぎない声が辺りに響く。その声に反応するように、彼の回りにいたものたちがいっせいにそちらを向いた。穏やかに木漏れ日の指す杜の中、答えるものは何もない。が、とたんに神和の周りにいたものたちは彼から遠のいた。音も無く消えたものもあれば地を転げるように駆けていくものもいる。足元にも頭の上にも、全くその気配が消えた後、ふわりと、神和の髪が揺れた。ち、と今一度神和は舌打ちする。そして忌々しげにその手で何かを振り払った。
「触るな、ムッツリ野郎」
「下郎、我を何と心得る」
声は、どこからともなく響いた。楽しくてたまらないといわんばかりの声音に、神和はケッ、と短く声を吐き捨てる。そして、
「何もかにもあるか、お前はお前だ。何物でもない」
「では礼を取れ、審神者。我はこの地の主、御坐山ぞ」
声の後、神和は自分の後ろへと振り返った。うすぼんやりと白い影が現れる。それはゆらゆらとゆれて、次第にそこに人の姿を作り出した。白金色の長い髪に、切れ長の赤い瞳。あごは細く、肌の色は白い。萌黄色の、狩衣と呼ばれる装束を身につけた若い人間の男の姿形をしたものは、その細い指で自分のあごを捕まえるようにしてくすくすと笑っていた。その足元と背後に、先ほど神和に付きまとっていたものたちが集まり始める。ついさっきまで好き好きに喋っていたそれらはもう騒ぐこともなく、大人しく彼に侍っている様子だった。
「礼って何だ?拝殿前で賽銭でも投げろってか?」
「そんなものは要らぬ。人の金銭など、我等には何の価値もない」
ふふん、と彼は鼻先で笑った。神和はフン、と鼻を鳴らし、彼からの顔をそらした。
「で、何の用だ?御坐主。わざわざ俺に会いに来たのか?」
「解っているならその顔を見せよ、審神者。この者らも、それを願ってお前を見に来た」
「俺は見せ物か」
「愛児ゆえな。愛でてやろうというのだ。解らぬはずもなかろう?」
くすくすと、御坐主、と呼ばれた彼は笑い続けている。神和は何度目かの舌打ちをして、それからしぶしぶサングラスを取った。かすかなどよめきがその場で起こる。空気にさらされた面は、白く、どこか華奢な印象を与える。きつすぎない、笹の若葉にも似た形の目、すっと伸びた鼻梁、血色は良くはないが不健康すぎもしない頬、そして、かすかに赤い唇。女顔、と一口に言えるその容姿は、ただそれだけではない造形だった。整いすぎた、と言わんばかりのその顔に、御坐主の白い手が伸びる。
「触るな、ヘンタイ」
「その口の悪さは主の顔に免じて許してやろう。どうだ審神者、宮の奥で暮らさぬか」
「人の話を聞け、お前は」
そのまま、神和はそのあごを掴まれる。間近に白い顔が寄ると、彼は乱暴にその手を振りほどいた。
「だからやめろと言っとるんだ、このセクハラ土地神!」
噛み付くように神和が叫ぶ。おどけたように目を丸くさせ、御坐主は大袈裟なそぶりでその白い手を収め、なおも笑いながら言った。
「連れない奴よ。これほどまでに我等が愛でようと言うに」
「あいにく俺様は、お前らに愛してもらわなきゃならないほど愛に飢えてないんだよ。それに、何で男のナリのお前に遊ばれなきゃならんのだ」
「何だ、この形が不服か。ではいつぞやのように女子の形をとろうか?」
「悪いな神様、俺は外見でどう誤魔化されても、その本質まで読める体質なんだよ」
言葉の後、神和は再びサングラスでその顔を隠した。周辺にいる者たちはそれが気に入らないらしい。どよどよと、再び辺りがどよめく。
審神者とは、古代、何者かの霊を呼び出した折、それが何であるのかを判別する役目を持った者の呼称である。その役目は時代とともに招霊を行なう者と同化したが、彼はその役目を持つものとは区別されるために、そう呼ばれている。同じく狭庭という言葉がある。前者が役割を示す言葉であるのは、その行いが後者のさす意味に基づくものであるからだと、彼は推測している。神が在ると言うには狭い庭、そこで、招かれたものが何者なのかを見極める者。故に審神者。呼ぶことには長けてはいない。その性質上出来なくはないが、己が長けているのはそれらを判別することだ。そして彼らとよく交わり、感じ応えること。自分は鼻が利く。それが何によるものなのかは解らない。ただ、何しろそれらの存在は自分の「容姿」がこの上なく好きらしく、それで幼いころから彼らとよく交感してきた。だからそのために人より訓練されているのかもしれないし、その素質があったから、彼らが自分にこうあれとしたのかもしれない。何しろ相手はこの国に住まうという、八百万の神だというのだから。
「つまらぬ、もう隠すか」
「俺は見世物じゃない。何度も言わせるな」
「主の顔は見飽きぬ。見世物風情より遥かに愛で甲斐がある」
「俺が嫌だと言っとるんだ、そういう扱いが」
「然れば去ねば良かろう。我等とて、主が去ねば、後を追う程でもない。我妻でも巫女でもないのだから」
「俺も一応ここの団体職員なんでな。そういう訳にも……」
「人の世の仕組みなど解らぬが、その柵から逃れようとせぬではないか。何故だ」
笑うことなく御坐主が言う。神和はわずかに言葉につまり、それから、
「……俺にも色々事情があるんだよ、人間風情だから」
「この宮を営む者共は、時には我等を神とも思わぬ振る舞いもする。が、なかなかに出来た類のものが多い。我等に規律などという、人の世の理を押し付けようとするは解せぬが、故に杜で騒ぎも起こらぬ。これだけの小者がいて、増えたとても杜は変わらぬ。巫女がこの者らを諭し、制する故にな」
「……何が言いたい?」
自分は確かにその存在と良く交わり、通じる。しかし存在している次元の違いは否めない。御坐主は笑いもせず、言った。
「我等を奉ずる人間共は他にも多い。この社ではなく、別な社を建てて、日々祈る輩も在る。主も、我が元を離れたとて、そのいずれかに与する事が、叶わぬわけでもなかろう。何ゆえに我が元にある?辰耶」
問いかけに、彼は口ごもる。が、
「……そうやって真名を取られてるだろう。だからだ」
真名、真実の名はその正体を現す。そのためにそれを取られる、知られ、呼ばれた場合、呼ばれた側は呼んだ側に逆らうことは出来ない、とされる。その場も、そこにいる多くの者たちも、そうした理に即した存在である。故に彼らは名を呼ぶことは少ない。その前に、特定の人間を指名して何事かを行う事は滅多にない。最も、その宮においてはそれらの存在を人間側も感知し、他の場所よりも多く干渉しているため、それで事がすまないことが多いのだが。
「名など、思うほどに主らを縛らぬぞ」
「何だよ、俺がここにいたらなんか不都合でもっ……」
「答えられぬか。他の神の宮では、主は神でなく人に使われよう。故に、とは申さぬか」
神和は言葉に詰まって、そのまま黙り込む。御坐主の言っていることは当たっていた。他の宮、宗教団体では、彼はもっとその団体に縛られることになるだろう。国内一と呼ばれる感応能力を持ち、良く神々に愛されるその容姿は、どこの神秘団体にも咽喉から手が出るほどに求められるだろう。が、求められていった先で自分はどんなことをさせられ、どんな目に合わされるか解ったものではない。神を操るための道具にされて、最悪、生贄にでもされるのがオチだろう。
「何だかんだと申して、我が氏子共は賢い。主に無体も迫らぬしの」
機嫌よさげに御坐主の表情がほころぶ。チ、と舌打ちして、神和はそっぽを向いた。言われたことは的を射ている。八百万神祇会は表向き、神社の互助会としての活動を行い、他のオカルト教団のような宗教活動はほとんど行わない。そのおかげで彼も、主祭神の機嫌取りなどという、神々の愛児にうってつけとも言える役目を負わずにすんでいる。とは言っても、現状を歓迎しているわけでもないのだが。
「それに、先ほど主の隣に居たではないか、あの女巫。なかなかなびかぬようだな?」
御坐主の口調が揶揄いじみたものに変わる。言葉の後、周囲はまたどよめいた。
「なにー!審神者はあーゆーのが好みか」
「むー、ちょっぴり渋好みかのう」
「いやいや、あれもあれで良い女巫じゃ。この間なんか饅頭もろうたぞ」
「ほほー、まんじゅーか、食べたいのー」
「儂はまんじゅーよりしうくりーむとかの方が好きじゃー」
傍で何やら奇妙な話題が起こっている。が、神和はそれを全く無視して御坐主に言った。
「松浦はあれでいいんだよ。顔だけしか能がない男に、ほいほいついてくような尻軽じゃないんだ」
「ほぉ、自身で認めたか、その能を」
「俺は顔だけじゃなくて感応に長けてるだろう?だからいいんだ」
ややムキになって神和は言う。御坐主は首をかすかにかしげ、いぶかるように、
「そうか?我等は主のその面見たさにこうして出てくるのだぞ?言葉のみでなく、思いも交わしたくば、声もかけようし居場所も知らせよう?」
「え?」
じゃあ何だ、俺って本当に顔だけなのか。どこにいるか解るとか、何物か解るとか、それってもしかしてむこうの好意だけで成り立ってることなのか?神和の頭に一瞬にしてそんな考えが過ぎる。そのまま固まった神和を見、御坐主はまたくすくすと笑った。そして笑いながら、
「買い被るな、審神者。我等を何と心得る。人風情、如何様にもたぶらかせる。主も、人であろう?」
笑われて神和は我に返る。くすくすと御坐主は笑っていた。笑って、やや困惑気味の神和に言った。
「案ずるな、審神者。我等は担がぬ。嘘もつかぬ。それに、その性質にふさわしい名で呼んでおろう?」
「……御坐主?」
「主を偽るは、したところで敵わぬ。適えばとうの昔にどこぞの何者かが主を好きにしていよう?」
「って……何だよそれは」
言いながら神和はその言葉を飲み下そうとする。俺に嘘はつけない?いや、俺はだませない?したところで出来ないって、どういう意味だ?その性質に相応しい名が「審神者」なら、そのまま「神を見極める人間」ではないのか?しばし神和は考え込み、そして、
「……担いでないって、担がれてるじゃねぇか……」
言いながらがくりと肩を落とす。どうやら完全に遊ばれているようだ。くすくすと御坐主は笑っていた。笑って、そんな神和に更に言った。
「主は我等と人を繋ぐ。そして主は、我等が愛児。我等を見、我等を能く識る。審神者とはそういう者ぞ」
「……この根性悪神……」
悔しげに神和は呟く。御坐主はそんな神和を見ながら、更に言った。
「されども我等が主に通ずるを許すは、その姿形に拠るだけではない。我等とてすべからく何事も片付けられるわけではない。時として人の手も借りねばならぬ」
「……何?」
その言葉に神和は眉をしかめた。笑いながら、御坐主は言葉を続けた。
「頼られるを、憂うは愚かぞ。主が役目は審神者、我等と人とを繋ぐこと。解っておろう?」
「お前らのお仲間が、俺に一体何を頼みに来るってんだ?」
未来でも嘉しているのか、言っている意味が良く解らない。神和は眉をしかめたまま問い返すが、御坐主はそれ以上何も言わなかった。不意に顔を彼方に逸らし、くるりときびすを返す。
「おい御坐主」
「あれはまた、奇妙な呼ばれ方をしたようだな」
「あれ?」
「「布都主」か……恐ろしい名だ」
そう言って御坐主は歩き出し、数歩進んだところでそのまま、音もなく姿を消した。同じ様に、それまで彼の後ろに控えていたもっと小さく弱い存在も、順にその気配を消していく。一体なんなんだ、あいつは。それを見送りながら神和は胸の中で呟き、その場で大きく息を吐いた。神々と通じる、と言っても、神と人とではその意識に違いがありすぎる。相手の言っていることが解らないこともよくあるし、こちらの言っていることなどほとんど理解されていないようでもある。それでも自分勝手の度合いは、同じレベルか。彼らを見送るような格好のまま、神和はそんな思いをめぐらせ、その場で苦笑いを漏らした。
「あれ、神和くん、まだいたの?」
明らかに人間の、肉声が聞こえる。神和はその間抜けな物言いに苦笑のまま振り返り、
「別に待ってたわけじゃないが……祓いはすんだのか?」
「うん」
御幣はそう言って神和の元へとやってくる。そして、
「神和くん、何かあった?」
「何がだ?」
「何って……僕が聞いてるんだけど。何だかいつもとちょっと違う感じだよ?」
普段どおりの、困った子犬のような目つきで御幣がその顔を覗く。神和は苦笑を浮かべたまま、
「ああ、ちょっとな。厄介な相手に絡まれて」
「厄介な相手って、ここの神様?」
何気に御幣が問いかける。神和はぎょっとして、しばし黙し、
「お前……変なところで鋭いな」
「そう?で、またセクハラでもされた?」
小首をかしげて御幣が言う。笑うのもやめて、
「まあ……そんなところだ」
神和は答えて言った。
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