惟 神

KAMUNAGARA

 

其之伍

 

「もしもーし、御幣……ああ、可西くん?今?今朝植芝さんに聞いた現場に来てて……ちょうど良かった、対処係に連絡とろうと思ってたところでさー……」

あはははは、とのんきに御幣が笑う。電話の相手は他部署の同僚らしい。その様子に神和はまた舌打ちして、その目を南西の方角へと向けた。形のいい瞳がゆがめられるが、それは不機嫌のためだけではないらしい。遠くのものをよりはっきりと見ようとするような仕種で、彼はそちらをじっと見詰めていた。厳密に言えば、彼の目にその先にあるものが目に見えているわけではない。が、神和を含む感応能力者の多くは、それを「見る」と言い表していた。映る場所は目ではない。けれどその光景は、まるで目の当たりにしているように、或いは何かを隔ててはいるが、彼らには「見えて」いた。時に、肉眼で見るよりも、確かに。

「怪我人が出たか……」

彼方を見るようにして神和はつぶやく。直後、電話していた御幣の声が大きくなった。

「ええっ、何それ!結構ヤバい……結構どころか、かなぁ……うん、まあ……近くだし、行けなくもないと思うけど……」

声は言葉とともに小さくなっていく。言いながら、携帯電話を片手の御幣はちらりと神和を見た。彼方を見やっている様子の神和の顔は見えない。その背中を見て、御幣は言った。

「うん……頼んで……あれ?ちょっと可西くん?もしもし、もしもし?」

つー…… 携帯電話が呼び出し音より間抜けな電子音を立てる。それもすぐに切れ、御幣は困ったようにその場で吐息した。電話は切れてしまった。故意ではないようだ。そんなことよりも、どうしたものか。思いながら御幣は携帯電話を上着のポケットに突っ込み、神和に声を投げた。

「神和くん、今、対処係の可西くんから……」

「聞かなくても解る。応援要請か?」

「うわぁ、流石は審神者だねぇ。実はそう……」

「そんなのはそばで聞いてりゃ誰にでも解る」

ややもすると胡麻すりにも聞こえる御幣の言葉に神和は厳しく返す。御幣は困ったように笑うと、

「あ、やっぱり?この近くで今、対処係が捕り物やってるんだって。それで……」

「けが人が出て、結構面倒なことになってるみたいだぞ」

相変わらず振り返りもせずに神和が言う。御幣は目を丸くさせ、

「うん……可西くんも、何かそんなこと言ってた……けど……」

その言い切りは何だろう、思って御幣は首を傾げた。神和は息をつき、

「妙なモンが暴れてやがる。ここから南西に行ったところにある、新興住宅地だ。警察も出張ってるのか?」

「……神和くん、なんでそんなこと……」

「悪いな、俺様は国内一の審神者なんだよ。千里眼なんて裏技は朝飯前だ」

言ってから、ふん、と神和は鼻を鳴らす。そして、

「厄介な事になる前にお前みたいなのの手があった方がいいだろ。行って来い」

「え?でも、ここも、片付いたようなそうでないような感じだよ?」

首をかしげたままで御幣が問い返す。神和は疲れたような何度目かの息を吐き出し、

「ここなら放置でも平気だろう。元の主には戻るように伝わるだろうし、中松の稲荷の分祀だ。戻るのに邪魔が入っても、今度は本体がどうにかするだろう。分祀自体も、その辺の生霊程度がうろつくくらい、ヘでもないだろ」

「そう?そういうもん?」

やや心配そうに御幣が重ねて問う。神和は答えない。答えるべくもない、と言ったところだろうか。御幣はそう判断して、

「じゃあ僕、対処係の応援に行ってくるよ。あと、よろしく」

言うなりそこから駆け出していく。神和はその背中を見送るようにして、再び南西に向き直ってその目を凝らす。

「何だ、こいつ……」

そちらから届くのは奇妙な気配だった。何やら大きなものが暴れているらしい。が、その気配は一つや二つではない。いや、一塊のようではあるのだが、

「雑多すぎるな……」

それはまるで細かい繊維を寄り合わせた糸から、更に太い綱を作ったような、そんな感覚だ。聞こえたのはその叫びだった。それは何かを呼び、そしてその場から解放されたいと、何者かに助けを求めている。御幣には「人間パラボラアンテナ」などと言われるその体質だが、神和も、周囲に満ちる総てのものに反応しているわけではない。自分に対して向けられたその感情、在り得ない場所に存在する強い気配、そして特に助けを求める「声」に良く感応する。耳ではないどこかが聞いた声は、一つのようで、それでいて余りにも雑多だった。混成の合唱のように揃ってもいなければ、別々の叫びほどにもばらつきは感じられない。同じ場所にいて、別々の声が、同じような違うような意思を何者かに訴えている、と言うべきか。一箇所から彼に響く声に神和は眉をしかめた。何が起こっているのか、ここからでは流石に確認は出来ないが、それを処理している人間が応援を要請したのは御幣だ。自分の出番はないだろう。最も、御幣の担当するような荒事など、全くと言っていいほど出来ないが。思い、神和はサングラスをかけ直した。そして視線を南西から逸らし、そのままきびすを返す。

「審神者ー!!

奇妙に高い声が聞こえたのはその時だった。最も、それも肉声ではない。が、気付いた神和は無意識のうちにそちらを見遣っていた。目の前、突然視界が何物かに遮られる。次の瞬間、

「わーっ、ぶつかるー!!

ぶぎゅる、という擬音も似つかわしい勢いで、それは神和の顔面を真正面からヒットした。まともにそれを受け止めた神和はわずかにその場でよたつく。

「っ……何だ、お前は!!

ぶつかったものはそのまま顔に張り付いていた。引き剥がし、怒りを隠すことなく神和が叫ぶ。ぶつかってきたものは、毛だらけの何かだった。とがった耳とふさふさの尻尾を生やした、水干姿のそれは、

「お前……昨日の大口真神じゃ……」

「大変なのじゃー!!たーいへん、なのじゃーっっ」

突然現れたそれに驚き、神和は一瞬怒りを忘れる。現れたその小さな大口真神は取り乱した様子で、神和に首根っこを捕まえられた格好でじたばたと暴れている。その様子にどこかうんざりしたように神和は聞き返した。

「何だ、何が大変なんだ?またあの社から追い出されでもしたか?」

「違うー!!儂の、儂の馴染みが、おらんようになったのじゃー!!

「……は?」

じたばた暴れる大口真神の言葉に神和は眉を寄せる。大口真神は暴れながら、

「審神者、探してくれ。儂の馴染みじゃ、探してくれー!!

「って……あのなぁ、神様。俺はお前らの便利屋じゃねーぞ。それにそういうのはお前らのお仲間の方が向いてるだろ?そうだ。中松の稲荷辺りに頼んでやろうか?あそこの稲荷、失せ物にも良く……」

「稲荷じゃと!!何を言うか!!あんな狐なんかわさわさ飼っとるようなのになんでそんなことが頼めるんじゃ。わしはちーさくても大口真神じゃぞ!恐れ多くも大口真神の……」

大口真神とはいわゆる狼の姿をした山の神であるとされる。稲荷神は、その神使が狐である。正体は狐ではない。が、

「それもそうだな。犬と狐だもんな。仲がいい訳ねぇか」

自分の思いつきを否定するように神和は言う。大口真神はそんな神和につかまったまま、なおも喚く。

「誰が犬じゃ!犬風情と一緒にするな!儂は大口真神……」

「あーそーかい。そいつは悪かったよ」

全く本題に入らず、余計なことで更に激昂した大口真神に、適当に神和は謝罪する。一体何をしにこんな処に、こんな時に来たのやら。大口真神は三度ほど、犬と一緒にするな、不届き者、などと喚き散らして、それから途端にぱたりと喚くのをやめた。そして、

「あれ?儂、何しに来たんだっけ……」

何も言わず、神和はそれを見て呆れていた。頬に前足の爪を一本だけ当てるような仕種で大口真神は首を傾げる。首根っこをつかんでいた神和はその手を離さないまま、大口真神を顔の近くに寄せ、

「何しに来たんだ?お前」

「え?えーっと……布都主がおらんくなったから、来たのじゃ」

「そうじゃなくて」

神、と一口に言っても、その性分は様々である。崇め奉って、その神徳で人間を救う神も在れば、ただそこに存在しているだけの神もある。そのために彼ら八百万神祇会の「カミ」の定義は「肉の体を持たない意思」とされている。物の怪、雑霊、などと呼ばれる彼らも、それゆえにみな等しく「神」だ。とは言えそこにいるのは大口真神の分祀である。まごうことなく神のはずなのだが。神和は思ってまじまじと大口真神を見詰めた。大口真神はそのまま考え込むようにして、それから唐突に、

「そうじゃ!儂の馴染みが、消えちゃったのじゃ!」

そういうと途端に血相を変えてまたじたばたと暴れ始める。大きく息をついて、神和はそれに返した。

「それはもう聞いた……消えた?」

が、その奇妙な物言いに彼は首を傾げた。大口真神は更に続けた。

「そうじゃ、急に消えたのじゃ。さっき通ったあの辺で」

「さっき通った?お前、やっと自分の家に帰れた次の日に、またほいほい出かけたのか?」

どうやらその大口真神の出歩き癖は相当なものらしい。呆れつつ神和が尋ねる。が。答えずそれは言った。

「長いこと厄介になっておったから、帰れたぞよ、って一言言っておかねばと思って、ついでじゃからご招待したのじゃ。そんで、お迎えに行って、一緒に寄り道したりしておったら……」

「寄り道だぁ?」

ガキかこいつは。思いつつ神和は片手でつるす格好だった大口真神を両手に持ち替えた。腹の部分を両側から支える、というよりやや締め上げる感覚で、しながら神和は言った。

「お前、自分が一体どう言う目に会って、あの家の人間にどれだけ心配かけたのか、解ってるのか?ああ?」

「そんであの辺で、急にいなくなったじゃ。しゅるん、って、消えちゃったのじゃ」

が、大口真神は全く取り合わない。言いたい事を言ってしまうと、両腹を掴まれた格好で再びじたばたと暴れ始める。

「審神者ー、探してくれー。儂の馴染みじゃー、おらんくなったら、もう遊べぬー」

「ってお前、人の話を……」

聞くわけがないか。その先を言わずに神和は思った。何しろ相手は八百万の神である。人間のひな型でもあるその存在は、時として人間以上にわがままで気まぐれで感情的だ。こうなったら別の誰かにこれをなすりつけでもしない限り、相手は自分から離れてはくれないだろう。神の側から何事かを願われる、というのも、妙な話ではあるが。思った神和の口から、無意識のうちに何度目かの溜め息が漏れる。その諦めの吐息の後、改めて神和は尋ねた。

「あの辺で消えた、って、どういうことだ?」

「解らぬ。そこまでは一緒におったのに、突然、しゅるんって、隠れんぼみたくいなくなって……」

「お前の案内に飽きて帰っちまったんじゃねぇのか?」

「そんなっ、そんなことはないぞよ!だって郎女(いらつめ)も、儂のうち見てみたいって……」

郎女(カノジョ)?」

言葉の後、はっとしたように大口真神は黙り込む。神和はわずかの間黙し、それからにやりと笑うと、

「何だ、お前、デートしてたのか?てか、帰れない間、ずーっと郎女(カノジョ)のところにいたのか?子犬の癖になかなかやるな」

大口真神の顔が、ぼん、と音でも立ちそうな勢いで赤くなる。ちなみに、神に性別は「特にない」ことになっている。が、どちらでもありどちらでもない、同時にどちらも選べる、変幻自在、という辺りが本当のところらしい。この大口真神は、その認識がどうやら「男」のようだ。ニヤニヤ笑って神和は更に尋ねた。

「要するに、振られたんだろ?その郎女(カノジョ)も気まぐれっつーか、罪な質だよなぁ……」

「なっ、何を言うか!郎女はそんなんではないぞ!儂との約束も、破ったりなんかせん!」

「じゃあどうして道の途中で急にいなくなったりするんだよ?理由が解らんだろうが」

何やら恋愛初心者の中学生でもからかうような態度で神和は大口真神に返す。大口真神はすぐさま、

「それが解らんから探せと言っておるじゃ!急にしゅるんって消えちゃって……振り返ったらもうおらんなんて……あんまりじゃ……うわぁーんっっ」

大口真神はそのまま、今度は嘆き始める。それを捕まえたままの神和はその様子に露骨に疲れた顔になり、ぶつぶつとその場でぼやく。

「こんな子犬の郎女(カノジョ)の捜索してるほど俺もヒマじゃない、っつーか……御幣について行きゃ良かったか?」

あちらはこんな些細な事件とは比べ物にならないレベルの騒ぎになっていることだろう。一緒にいれば厄介な事をやらされることも予想出来るが、迷子の「郎女」探しよりは気分的にマシというものだ。が、どう思っても後の祭である。泣き喚く大口真神も放置しておくわけにもいかないだろう。それに、ここの主が帰ってくるのに鉢合わせすれば、また厄介な事になるに違いない。

「解った、解ったよ。探してやるから泣くな。な?」

大口真神を抱きかかえるようにして神和が宥める。抱えられた子犬よろしく、の大口真神はその前足で涙を拭うようにしながら、

「本当か?探してくれるか?」

「ああ、探してやる。だからその郎女と逸れた場所から教えてくれ」

神和の言葉に、大口真神はその腕の中から身を乗り出した。そして、その前足の一方で方角を指し示す。

「あっちの方じゃ。なんか、ごちゃごちゃしてるのが、ばたばたやっとる」

「え?」

言葉と、そしてその方角とに神和は凍りつく。気付いていない大口真神は、その方角へ身を乗り出して言った。

「なんかごちゃごちゃしたのがおって、その近くを、通りたくなかったんじゃが、郎女がどうしてもそっちに行ってしまって……気がついたら、消えておったのじゃ」

示された方角は南西だった。いやな予感がする。胸の中、神和は呟いた。

 

さる下町のとあるマンションの空中庭園から移動すること、十五分。そのマンションのある区域よりもやや鄙びた新興住宅街は、奇妙なざわめきに支配されていた。近辺を歩いているのは主に警察関係者らしい。制服姿やスーツ姿の数人を見かけて御幣は首を傾げた。先ほどは拾ったタクシーの運転手に、これ以上進むと検問にでも捕まりそうなので、と指定の場所よりはるか手前で下ろされ、警察が動いてるなんて変なの、と思ったのだが、

「警察と連動って……何してんのかな」

今度は、今現在の心境を言葉にしてみる。が、何かが解るわけもない。まあいいや、知り合いにあったらその辺のことも説明してもらえるでしょ。のんきに思って御幣は、自分が呼び出されたその場所目指して歩いていた。

しばらく、何の変哲もない、しかし近隣住民らしい人影の全く見られない通りを進む。途中、すれ違う警察関係者に捕まって職務質問され、

「僕、呼び出されたんですけど。多分ここで一番重要な役割の人達に」

と、真剣なのかそうでないのか解りづらい口調で答え、睨まれたついでに更なる職務質問など食らってしまった。この先は立ち入り禁止になっているから戻りなさい、関係者って一体誰なんだ、と言われるわずかの間に、御幣はあっという間にうんざりしてしまっていた。根っからの面倒くさがりである。ついでに、かなりの飽き性でもあった。あーもー、面倒だなぁ、こんな所で捕り物で、しかも警察もからんでるって、聞いて知ってたくせに、そんなところに呼び出されてのこのこ来ちゃうなんて、僕ってお人好し、などと思いつつ、御幣は自分に食って掛かる警察官に言った。

「八百万神祇会の責任者、呼んでもらえませんか?僕、あの人たちの最終兵器なんで」

警察官はその、さも面倒くさそうな口調にむっとしたような顔になった。が、持っていた無線で何やら連絡を取り始め、それが終ると突然態度を変えた。腰の低い姿勢で、しかし不承不承というか、権力に従っていてしかもそれが気に食わない、というのが見え見えの様子で、失礼しました、お疲れ様です、現場はこの先です、と言った。最初からそうやって下手に出てりゃいいんだよ、官憲風情が、などと腹の中だけで言って御幣は無言で更に進む。やがて、黄色いテープが張られた区画が見え、御幣はその手前で足を止めた。その奥では今まですれ違った警官達よりももっと多くの人数がうごめいているのが見える。その中に見知った、しかし意外な顔があるのに気づき、御幣はまずその人物に声を投げた。

「松浦?」

呼んで、直後御幣は黄色のテープに向かって駆け出す。呼ばれた彼の同僚、松浦千五穂は声に振り返り、驚いた顔で言った。

「御幣……どうしてここに……」

「さっき可西くんから電話貰って、途中で切れちゃったんだけど……何?何が起こってんの?」

簡単に立ち入り禁止の表示のテープを乗り越え、その中に御幣が入る。松浦は困ったように眉をしかめると、

「面倒なものが暴れている。その先で、一人やられた」

「面倒なもの?って言うか、松浦の呼ばれた件って、これなんだ?」

重ねて問うように御幣が言う。松浦はそんな彼を見ず、

「いや、私は別件の調査に借り出されていた。地鎮と称して詐欺まがいをしている人間がいるから、それを捜して欲しいと言われて、来てみたらこれだ。負傷した人間はそれとはまた別件で動いていたらしい」

「それって……可西くん達?」

「可西は付き添いで病院に行った。植芝係長がもうすぐこちらに来るそうだ」

問いに的確には答えることなく、松浦が状況を簡単に説明する。御幣はそれを聞きながら目を丸くさせ、無言のままぐるりと辺りを見回した。目と鼻の先にはまだ家の建たない宅地が広がり、その奥には黒いシルエットの山と水田地帯とが見える。片田舎と呼ぶのも住宅地と言うのも何やらそぐわない場所だ。その山の方角の一部に、奇妙なねじれを見付けて御幣は目をしばたたかせた。そして眉を顰め、それから目をこすり、薄目で、見えづらいものにピントでも合わせるようにする。奇妙な顔をしている御幣に、笑いもせず松浦が尋ねる。

「見えるのか?」

「うーん……見えるって程じゃないけど……何か変なのがいるよね?」

逆に御幣は確かめるように松浦に問う。同じ方角を見遣り、彼女は短く返した。

「ついさっき……一時間も経っていないか。例の対処係とぶつかって、実体は失ったらしい。その『影』だ」

その言葉に御幣は奇妙にねじ曲げていた眉を解いた。はっきり言って自分に感応能力はない。見えたり感じたり出来るのは向けられた敵意が殆どで、それ以外で解るとすれば素人の霊能者以下のレベルだ。どう努力しても出来ないことは、するだけムダだ。そう思いながらも、御幣はその影の方を向いたまま、側らの松浦に問いかけた。

「ねぇ、松浦。やろうと思ったらその辺うろうろしてる生霊みたいなの、寄せ集めて合体させたりって、出来る?」

見えているのはそんなものだった。松浦は振り返らず、眉一つ動かすこともなく返した。

「核になる適当な強さのものがいて、それを制御できる術者がいれば」

「あれってそんな感じだよね?」

「そうだな。そんな感じだな」

それをそのものだ、と二人とも断言はしない。平時と変わらない様子で、二人は揃って目標物の方を向いていた。かすかに笑ったのは御幣だった。そのまま、再び彼は尋ねた。

「へぇ、松浦にも「そんな感じ」がするんだ?」

「断言は出来ない。それは私の役目ではないし。審神者だったら、そう言い切れるんだろうが」

「審神者、ねぇ……そんなに役に立つものなのかなぁ、それって」

振り返らない松浦に御幣は向き直る。とか何とか言って、本当は松浦にだってそのくらいの事、解ってるんじゃないかなぁ。真面目って言うか、謙虚だよね。胸の内だけで言って御幣はかすかに笑みを漏らす。聞こえたのか、彼女は目だけをそちらに向けるが、やはり言葉はない。御幣はその視線にも、無言の笑みを返す。山陰の某地方では屈指の神道家、その長女、と言う立場の彼女は頑なと言うか、生真面目な性格をしている。こと業務に対しては、その度合いも更に強くなる。尤も、それらが適当に流せる程度の事象であることもないので、当然と言えば当然なのだが。御幣のように戦闘能力ばかりが突出した「体質」とは違い、彼女の呪能はその研鑽によって研ぎ澄まされている。勿論、先天的な感応能力の有無もあるが、その研鑽のレベルもまた、彼女の生真面目さに比例している。その能力は高い。が、事感応に関しては、神和の右に出る者はいなかった。審神者の美称はそれ故でもあるが、それは御幣の戦闘能力同様、「体質」だった。そのための鍛錬というものを、神和は殆どと言っていいほど行なわない。逆に何もかもを拾わないように気を使わなければならないとさえぼやくのだ。能力の発揮を望んで、かつ、より良く行使したい人間からしてみれば、羨ましいを通り越して恨めしいことだろう。松浦もその辺は、やっぱりそんなこと思うんだろうな、努力家だからな、神和くん、ちょっと可哀相かなぁ。御幣は何となくそんなことを思って一人、奇妙な重さの溜め息をつく。松浦はそんな様子の御幣に、怪訝そうに眉を寄せた。

「どうかしたか?」

「ううん、別に。ちょっと別の事、考えてて」

「流石に、余裕だな」

松浦の声がやや厳しくなる。あれ、僕、何か怒らせるようなこと言ったかな。思って御幣は首を傾げる。どうやらその男は、自分の能力も羨望の的であると言うことが全く解っていないらしかった。更に付け加えるなら、現場でそれ以外を考えていることが、彼女にしてみれば不心得でもあるようだった。目を幾度かしばたたかせ、御幣は少し怒ったような松浦を無言で見ている。松浦は視線を遠くへと投げ、低く言った。

「日が落ちるとあの類はまた大きくなる」

「ああ……うん、そーだね……」

言いながら御幣もそちらに向き直る。ゆらゆらと揺らいでいたものは、その形を闇に溶け込ませながら、しかし確実にその濃さを増していた。先程よりわずかであるが、その位置と大きさがはっきりと解る。御幣はそれを見ながら、何気に言った。

「あ、そうか……さっき神和くんにかけてもらった術が、まだ効いてるんだ」

松浦がその言葉にかすかに反応する。御幣は少しだけ笑うと、

「神和くんも結構やるなぁ……ふーん、そうかー……」

「神和に、術?」

独り言のようにつぶやいた御幣に松浦が問いかける。笑って、御幣、

「うん。さっきはもっと見づらいのを見なきゃいけなかったから、見えるように、って頼んだんだ。そうだよね……それが切れてたら、僕にあんなにはっきり解んないもんね」

言葉の後、あははは、と、のんきに御幣は笑う。そして、

「でも、やっぱりぼんやりとしか解んないんだけどさ。松浦はすごいよねぇ、素で解るんでしょ?ああいうの」

言われて、松浦は拍子抜けしたような顔になる。御幣は、不思議なものに出会って驚いている子供のような顔になってそんな彼女へと振り返った。拍子抜けしていた彼女は御幣と目が合うと我に返り、その場で苦笑を漏らす。

「松浦?」

「別に、すごい訳じゃない。私はそういう性質(たち)だから」

「そうかなぁ……余所の部署に借り出されるくらいなんだから、もっと自信持ってもいいと思うよ?」

「確かに鍛錬はしているから、それなりのことは出来ると思っている。が「神殺し」には敵わない」

苦笑混じりの松浦の言葉に御幣もわずかに苦い笑みを漏らす。そして、今一度目標物へと向き直った。

「「神殺し」には、ねぇ……本人、そんな風に言われても、嬉しくとも何ともないんだけどね」

闇はわずかずつではあるが、刻一刻と深まる。同じ速さで、その気配も濃さを増す。あれを深夜、それとも丑三つ時まで放置しておいたらどうなるのかな。胸の中だけで御幣は呟き、笑うのをやめた。周囲は、自分達を除いて相変わらず奇妙に慌しい。警察と、目標物と直接やりあっている本庁の担当者とで何事かもめているらしい。けが人も出ているし、ただでさえ事は大きくなっている。早めに片付けた方がいいんだろうけどな、思いながら御幣は溜め息をつく。

「呼ばれてきたのはいいけど、指示が出なきゃ何にもできないよね」

「そうだな」

「僕たち、どうしたらいいんだろ。結構働く気、あるんだけどなぁ」

面倒くさそうな御幣の物言いに、松浦はかすかに笑った。その男はいつも、どこか怠惰な様子を見せるが、やると言った事に手を抜いたことはない。文句が多いのは確かだが、責任感もそれなりに強い。組織の中ではその言動が問題視されることは多いのだが、それほど問題のある人間でもない。彼女はそれを心得ていた。そして、冗談混じりに言った。

「私は用無しかな」

「何言ってんの。松浦にはいてもらわないと。対処係の植芝さんと僕の相性が良くないの、知ってるでしょ?」

真剣なのか冗談なのか判別しがたい声と顔で、御幣が間髪入れず言葉を返す。松浦は笑いながら、

「それはそれ、これはこれだ」

「それに、僕、今は何となく的がどこにいるか解る感じだけど、素面になったら何にも解らないし。そういう時、優秀な巫覡がそばにいてくれないと困るんだよ。蹴散らさなくていい神様まで知らないうちに蹴っ飛ばしたりしてるからさ」

御幣はそのまま唸る。どうやら本人はいたって真剣らしい。その様子に松浦はまた笑い、

「じゃあ、私も真面目に働こう。尤も、サポートくらいしかできないが」

「充分、って言うか……僕、矢面にはちゃんと立つよ。そもそも、そのために呼ばれたわけだし」

それに、女の人に荒事なんて、させられないもんね。胸の中、最後の一言を御幣は呟く。それを言っても差し支えはないかもしれない。が、言われた方がそれを気持ち良く取るかどうかは解らない。彼女は勤勉で真面目だが、自分の「神殺し」の異名に、何も含んでいないわけでもなさそうだ。時々、意地が悪い。思って黙っていると、何気に松浦が問いかける。

「どうかしたか?」

「ううん、別に、何も」

にっこり笑って返してから、御幣は一つ息をついた。そして笑いもしなければ、特別に緊張も戦きもしない顔で、改めて目標物に向き直る。周囲に何を含まれていようといまいと、自分の能はこれしかない。役に立つと言うなら立たせてもらうだけだ。とは言え、

「面倒くさいよなぁ、本当に……」

ためいきまじりに御幣の口から本音かせ漏れる。松浦はかすかな声だけを聞きつけたのか、目を丸くさせ、

「何だ?」

「ううん、別に、何も」

もう一度、御幣は笑って彼女にそう返す。その様子に松浦はかすかに眉を寄せたが、それ以上何も言わなかった。低く、しかし余り重くないエンジン音が聞こえたのはそれからすぐ後のことだった。一台の白い軽自動車が二人のいる地点に向かって走ってくる。避けなきゃ、と御幣が振り返った時、それはそこで停止した。直後、運転席のドアが開く。その開閉音に松浦も振り返り、現れた人物を見るとその目をわずかに見開いた。

「植芝係長」

どうしてここに、とでも言いたげな顔で、しかし御幣は無言だった。車から降りた、ブレザーの上着を羽織った四十がらみの男は、二人を見るよりも前から神妙な顔つきだったらしい。驚く様子も見せず、二人に歩み寄りながら言った。

「状況はどうなっている?」

「すみません、我々はまだ、この先には……」

問いに答えたのは松浦だった。植芝浩平、本庁巫覡課対処係係長。「武闘派巫覡」の異名を持つ能力者だ。やや彫りの深い、厳しい目つきをした男は松浦の言葉にかすかに怪訝そうな顔になる。

「松浦……そちらに頼んでいた件はどうなった?確か可西と国仲とは別件だったはずだが……それに御幣、どうして君が……」

「私の方は、たまたまこの近くで……」

「僕は可西くんに、応援頼まれたんです」

にっこり、御幣は笑っていた。綺麗すぎると評判の笑みは、実のところその心情を表すものではなかった。植芝の険しい目が更に険しさを増す。構わず、御幣は言った。

「どういうことになってるか、誰かに説明でも頼みたかったんですけど、見付からないんですよ」

植芝はしばし黙り込む。が、息をつくとすぐにも口を開いた。

「我々の追っていた術者がこの辺りに潜伏していて、居場所を突き止めて確保しようとしたところで、国仲が何かに襲われたらしい」

「その何か、って、あの辺にいる変なのですよね?」

重々しい口調の植芝に対して、御幣の話し方は普段と大差のない、軽いノリだった。植芝は笑いもせず、

「そのようだ。今、本庁に残っているうちの巫覡をこちらに向かわせている」

「警察沙汰になってますけど、その辺どうなってるんですか?」

「可西が君を呼ぶ前に手配したそうだ。一般人の立ち入りだけでも制限するように」

「で、対処係の追ってる術者って、何者なんです?」

続けざまの御幣の問いに答えていた植芝は、そこでわずかに黙った。にこにことした顔のまま御幣は植芝の答えを待っている。それを見て、かすかな吐息の後、植芝は言った。

「地鎮係から報告を受けた件の術者だ。聞いていないか」

「うちから?松浦、何か聞いてる?」

逆に聞き返される形になって御幣は首を傾げた。松浦も戸惑いながら、

「私は、特に何も……」

「小規模の社からその社の主を追い出すような術式を行なっている人間がいるらしい、と。その調査だ」

植芝がそう答える。松浦はその顔に驚きを浮かべ、御幣は、ああ、と納得した声を漏らした。

「今朝八郎さんに聞いた、アレかぁ。なるほど……」

「術式は主に折り符の、見立ての鏡を使って行なわれている。目的は、あれだろう」

植芝の視線が二人からそれた。自分達を越した向こうを見ているようなその様子に、御幣は眉をわずかにゆがめ、しかしすぐ、

「あれ?」

「寄り集めて……小さな微弱なものから、大きな強いものを作ったようだ」

植芝の言葉に松浦の表情も強ばる。苦笑しながら植芝は続けて言った。

「恐らく松浦に捜索を頼んだ詐巫と同じ人間だろう。同じ場所に二人も似たような事をしている術者がいるとは考えにくいし、そうだとするなら共犯者だ。警察が動いているのは、多額の金銭を騙し取る詐欺行為もしていたからだ。そちらからの連絡では、単独犯ということだったが」

驚いているのか、松浦に言葉はない。御幣はへーえ、と感心しているような顔で言い、それからまた軽く言った。

「金銭ねぇ……立派に警察の動く詐欺だなぁ……でも、それだけだったらあんな黄色のテープなんて、張ってくれないんじゃないですか?」

「けが人が出ている。それに、可西達が最初に見つけたのは、大量の血痕だったらしい」

どこか曖昧ではあるが、それは確かな答えでもあった。御幣の表情がわずかに引き締まる。植芝は言葉を続けた。

「術者の潜伏場所をつきとめたものの、当事者の姿がなかった上、血痕だ。しかも現場で国仲が得体の知れないものに襲われて負傷した」

「あれを作った当事者が、あれに何かをさせている、と?」

その言葉をさえぎるように言ったのは松浦だった。植芝はすぐにも、

「そこまでは解らない。今はあれが一体どういうものなのかの判別と、その処理をするのが先だ」

「すいません、ちょっといいですか」

今度は御幣がそう言って口を挟む。挙手までした彼に二人の視線が向けられると、御幣は続けて言った。

「僕が今朝植芝係長に頼まれた件も、もしかして今回のアレのからみ、なのかな?」

言葉の後、御幣は首を傾げる。何事かと顔つきだけで言う植芝に、御幣は説明するように言った。

「折り符の鏡の術式で、そこの住人の人が追い出される、って言うの。昨日のネタもそうなんだけど」

植芝も松浦もそんな御幣を見て気色ばむ。が、何も言わない。御幣は困ったように笑い、

「って言うことは、あれって、小さいお社の神様の集合体、って、そういうこと?」

その言葉にも、やはり誰も何も言おうとしない。ただ、御幣だけが困ったように笑っていた。

 

嫌な予感がする、そう思った十数分後、神和は新興住宅地のエントランスとも言える、真新しい公園に辿り着いていた。夕暮れも近いせいか人気の少ないその場所で、彼は一人、口許から情けない息を漏らしている。

「何じゃ、情けない審神者じゃのぅ。ほれほれ、まだまだ郎女には追いつかんぞ、しっかりせんか」

「って、ちょっと待てお前!」

ふよふよと、目の前には余裕綽々の様子の、小さな大口真神がいる。屈むような格好で肩で息をしながらも、神和の声は怒号に近かった。大口真神はきょとんとした顔で小首をかしげ、疲労困憊の体で怒鳴る神和に問い返す。

「何じゃ、審神者」

「てめっ……人をこんなに走らせて、無茶言うな!」

「じゃって早うせねば、郎女がどっかに行ってしまうじゃ」

「って、そーゆー問題じゃねぇ!」

叫びながら神和が体を起こす。大口真神はしきりに自分の後方、進行方向へと振り返り、

「とにかく急ぐじゃ!早う行かぬと置いてけぼりじゃ!」

「だから待てって……俺はそんなに速くは……」

大口真神はその身を翻し、すいっ、と風に乗るように神和から離れる。

「あっ、おいこら、待て!」

とっさに顔を上げ、反射的に神和がそれを制止しようとする。が、聞こえていないのか、大口真神はあっという間にその近くから姿を消した。はあはあと相変わらず息を整えながら神和は顔を上げる。そして小さく舌打ちし、

「ったく……人間風情が自分の足で、そんなに早く走れるかってんだよ……くそ……」

言いながら乱れた髪を掻き上げる。しばしその場で呼吸を整え、しながら、神和はふいに眉を顰めた。

「しかしあいつ……何をそんなに急いでるんだ?」

「急ぐも何もなかろう。あの小ささでは、己の意思とは関わりなく、引き摺られようからな」

「引き摺られる?一体、何に、だ……?」

一人ごちたはずの言葉に、返すものがいる。ぎょっとして神和はその声の主を捜す如く、その首をあちらこちらに廻らせる。呆れたような吐息は近くから聞こえた。同時に、気配が強くなる。

「っ……な、何だ、お前……」

すぐ隣に、奇妙に色の白い顔の子供の姿があった。瓜実顔の白い顔の、髪まで白いその子供は、目元に紅を注し、涼やかな表情で、先程大口真神が去った方向を眺めている。

「……中松の、分祀、か……?」

確かめるように、神和がその名を口にした。子供の姿をした、件の稲荷の分祀は、振り返らないまま、困った様に息を漏らし、言葉を続ける。

「儂も、鏡がきつうて、暫し社を退いておった。されどあの様なモノ、その折には見なんだが」

高い声とは裏腹の言葉遣いで言って、稲荷神はまた息を吐く。

「あれは何ぞ、審神者。我等の眷族でもなし、土地の霊でもなし、ましてやヒトの霊でもあるまい。世に非ざりし気配がする」

「……何だ、そりゃ」

言葉の意味が解らず、神和が問い返す。稲荷神は笑いもせずに神和に振り返り、更に言った。

「あれがあのまま、もっと大きくなれば、儂も食われような」

「あー……まあ、そうかもな……大きくなる?」

「然れば、中松の宮に戻るが賢明か」

「……いや、ちょっと待て。お前は分祀だろう?それに、使いの者から聞かなかったか?お前の社の術式は俺達が取っ払った。もう戻っても……」

「儂はあれほど小さくはない故、未だ食われぬ。が……ここらに居れば、じき、あれに吸い込まれような」

淡々と、子供は言葉を紡いだ。神和の顔色が変わる。構わない様子で、子供はきびすを返す。

「おい、中松の、どこへ行く?」

「大御魂の元に戻る。この辺りには居られぬ。あれに食われれば、儂は儂ではなくなる」

歩きながら、ちらりと子供は振り返る。表情らしいものは見えない。神和は慌てて、

「ちょ、ちょっと待て!なんでそうなる?てかお前、ここに何しに……」

「あれも食われたようだぞ。と、言うより……呼ばれた様だな」

的を得ない言葉に、神和は混乱する。何が何に呼ばれた、だと?思っていると子供は、その口許を歪めてにやりと笑った。それは人の子が見せる様な笑みではなく、明らかに人外の、人を遥かに超えた存在が見せる表情だった。

「大口真神と言えど、所詮は小さき霊よ。気付きもせなんだ様じゃの。されど我とて、御魂より分かれる前程に強い訳でもない。己でそうと解る内に、退くが得策と言うもの。このまま行かば、夜の内に、この辺りの霊という霊が全てあれに食われよう。さすれば我とて、ただでは済まぬ」

「っ……おい、中松の……」

「それとも、主らが片を付けるか?既に幾重に折り重なり居るか解らぬ、あの九十九なる霊を、解くか?」

「九十九なる、霊……?」

その言葉だけを繰り返すように、神和は呟く。そして、

「……おい、中松の。お前、あれが何なのか、解るのか?」

神和の声が大きくなる。鼻をかすかに鳴らして、人の子供の姿をしたそれは、更に言葉を紡ぐ。

「人の血の匂いが、せんでもない。それに魅かれたモノも、居るであろうな。人の血は質が悪い。酒でもないと言うに、食ろうて酔うモノも居る。さすれば仕舞いよ。我等ほどの小さなモノは、食われるのみ」

「食われるって……食ってんのか?あれが?何を?」

「主も審神者と呼ばれる程の者なら、しかと見てみるが良かろう。あれが如何なるモノなのか。我等も時として集い混ざりはするが、あれほどにはならぬ」

呆れたように言って、子供はあからさまな侮蔑の目を神和に向ける。息を飲んで、神和は掛けていたサングラスを外し、示された方向に顔を向けた。数秒後、奇妙な笑い声と共に、その口から言葉が漏れる。

「……何だ、ありゃあ……てか……ふざけんなよ……」

ひくひくとその頬が痙攣する。子供はそれをちらりと見て、それから、僅かに笑みを漏らす。

「斯様に歪んでも、主の面は美しいのう。人の世に置くが、惜しい程ぞ」

聞こえているのか居ないのか、神和はすぐさまサングラスを掛け直す。そのまま駆け出そうとした背中に、子供は今一度声を投げた。

「主も、下手を踏めば食われよう。もっとも、あれらとは違う意味で、だが」

「馬鹿言え、だからってほっとけるか。あんなモンがあちこち歩き回ってみろ。ここら一帯、どうなると思ってんだ」

「仕方あるまい、それもヒトのしでかした所業であろ。我等には関わりのない事ぞ」

言葉に、神和は駆け出そうとするその足を止めた。振り返り、見遣ると、子供はにやりと口許をゆがめて笑い、その手をその先へと指し示し、言った。

「『ヒトのしでかした所業』だ?」

「行くなら止めぬ。されど、これもヒトの受けし報いぞ。あの様な真似をするから、食われたのだ」

「誰かが……あれを作った、だと?」

思わず神和が言葉を漏らす。子供は驚いたように目を見開き、それから、呆れた様に嘆息した。

「何じゃ……鈍い奴よ。儂が言うまで解らなんだか?」

見下す、と言うよりも失望に似た口調で発せられた言葉に、神和は何も言い返さない。侮蔑を感じるよりも驚きの方が大きいらしい。額に手を当て、そのまま髪をかき上げ、ははは、と小さく笑う。そして、

「確かに……お前らのお仲間の集会にしちゃ、余りにも雑多な上に変な感じがするとは思ってたんだよ……人為的に集められりゃ、好きも嫌いも属性も関係なくくっつくし、大きくなったらなっただけ小さいのを引き付ける力も強くなる……そういうことかよ……」

独り言の様に言って神和は笑った。子供はそんな神和をしばし眺めていたが、不意にその眉をしかめると、

「儂も、そろそろここを離れるぞ。分かち御魂と言えど儂とて元は伏見のモノ。あの様な下賤のモノ共と一緒くたにされるは、御免じゃ」

言って、身を翻し、その場を去ろうとする。振り返らず、神和が声を放った。

「中松の分かち御魂、どこへ行く?」

「決まっておろう。元の、中松の宮よ」

「あいつは俺達が何とかする。お前は分祀の社に戻れ」

言葉に、稲荷の分祀はその眉をしかめた。神和は口許に薄笑いを浮かべ、振り返って自分を睨む相手を見やる。

「我は稲荷神ぞ、何ゆえヒト風情の指図など、受けねばならぬ」

「まあそう言わず。お前が戻らないと困る連中だっているんだ。それに、高々何十年かだが、お前だってあの社を作った連中の世話にもなってるだろう?人間にだって一宿一飯の恩って奴がある。その人間よりレベルの高い筈の存在が、それを無視するってのは、どうかと思うが?」

分祀は眉をしかめたまま、何も言い返さない。にやりと神和は笑って、

「人間のしでかした事は人間が始末する。これ以上お仲間が食われたりしないように、こっちも努力する。どうだ?」

しばし、その場に沈黙が下りる。僅かの間、二人はその場で対峙した。神和はどこか自信ありげに微笑んだまま稲荷の分祀を見つめ、相手は、睨む様に神和を見つめている。

「……それでは、手並みを見せてもらうとしよう」

先に視線をそらしたのは稲荷神の方だった。不服そうな横顔に、神和は更にその顔を歪ませる。にやつく男を一瞥し、子供は口を開いた。

「然れど、あれに拠られて居るのは無数の霊ぞ。皆屠る事無く解かねば、この地一帯、どうなるか、解っておろうな?」

「……へ?」

「それもまたヒトの報いよの。せいぜい、気張るが良い」

言葉の終わりと共に、子供の姿を見せていた稲荷の分祀がその場から消える。神和はその場にしばし立ち尽くす。

「……全部、解いてばらせってか?」

いやそれは、ちょっとどころかかなり無理だろ。消えた子供の影を見送るようにして、神和が心の中だけで何気に呟く。そのまま数秒、なにやら考えるようにして神和はたたずんでいたが、

「……一か八か、やるしかねぇな、こりゃ」

そんな風に呟くと、今度こそ目標物に向き直り、その場から駆け出した。

 

 

 

 

 

 

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