スガネタ。

 

   イメージ小説「マホウノクスリ」  ―スガシカオ「魔法」より-

 

 ストーキングされている。これで一体何度目になるだろうか。

 

 一人暮らしを始めたのは、お決まりのように、大学進学後だった。特別遠方というわけでもなかったが、できることならしてみたい、と願った僕の希望は、当初予測していたよりもずっと簡単に叶ってしまった。当初はその事に多少の肩透かしも食らったが、今となってはそれも、どうでもいいようなことにさえ思える。

 ごくごく普通の、下宿している大学生。特別何かがあるわけでもない。しいて言えば、無口。その程度の僕を、両親は自棄に心配していた。何でもあの二人に言わせると「引き篭もり気味」らしく、周囲からは「根暗」だと思われているようだ。心外だ。たまたま多少のインドア趣味があって、それが少々特殊で、共通の話題を持って接することの出来る友人が、周囲に余りいないというだけのことなのに。余計な世話だ、迷惑だ。放っておいてほしい。それが原因で、両親や高校時代の担任などと、一体どれくらいの言い争いをしただろう。時には地区の自治会の会長までもがやってきて、まるで僕を犯罪者か何かのように取り押さえたりした。これには理由がある。親が雁首揃えて、僕を異常者扱いしたからだ。当然、僕はその事に憤慨した。幾ら親でも、それはないだろう。自分たちの息子をそんな扱いにするとは、言語道断だ、と。それで僕は怒りに任せて少し暴れたのだった。当時の僕は高校生で、とても不自由だった。金もない、移動力もない、おまけに、大人に対してどういう態度をとったらいいのか解らない。従順に従っていれば、相手はそれを逆手にとって、とにかく色んな事を押し付けて、僕を束縛しようとするし、逆らえば、力ずくで押さえ込まれる。警察沙汰も、二度ほどあった。暴れて手が付けられないから、と呼ばれてきたのは、けれど近所の交番詰めの巡査だった。僕はその時、それまでの怒りも憤りも忘れて、というかすっかり萎えてしまって、暴れる事をやめてしまった。そこに機動隊員でも出てきたなら、あの時の僕はもっとめちゃくちゃに暴れられたのに、その辺りを歩いているサラリーマンと大差ない様な、そんな警察官で事足りると判断された事で、気が抜けてしまったのだ。

 とりあえずそれ以来、そういう形で暴れる事はやめた。代わりに、というのもおかしいが、家にいても家族とは顔を合わせないよう、努めた。結局僕はまだ子供で、そんな扱いしかしてもらえないのだ。そう思ったら何もかもが空しくなって、だからますます趣味に没頭した。部屋に閉じこもって、ひたすらネット上を彷徨う。ゲームに電源を入れて、暴れられない代わりのように、その中で人を殺し続ける。実際にそれをしようとは思わなかった。殴られれば痛い事は、何度か起こした暴力沙汰(とは世間の認識だ。父親と喧嘩の一つもすれば、殴られて口の中くらい切るだろう)で確認していた。ガラスを叩き割って手の甲を数針縫った事もある。あれは、最初は格好がつくが、後は間抜けとしか言いようがなかった。暴れたいだけ暴れて、結果親に付き添われて外科行きだ。だったら、なるべく痛い目を見なくてもすっきりする方法で自分を解放しよう。下手に暴れるのをやめたのはそう思ったからだった。両親は、そんな僕に手が付けられなくなったらしい。それで「進学をきっかけに一人暮らし」を、了承したのだろう。以来彼らとは適当な距離を置いて、心静かに僕は暮らしている。それでも母親は僕が気懸かりらしい。家を離れて二年が過ぎるというのに、月に一度は部屋にやってきて、食事を作ったり掃除をしていったりする。そしてお決まりのように、学校の事や生活の事をたずねてくる。うっとうしい。僕は今こうして、自由に好きに、比較的楽にやっているというのに、それで誰かに迷惑をかけている訳でもないのに、何をそんなに文句があるのか。そう言って母親を泣かせた事も一度や二度ではない。それでも彼女は時折やってきて、懲りずにそんな話をしていく。腹が立つが、あちらがやめないというのだから仕方がない。僕はそれ以来、留守がちになった。下宿に戻らなければ母親とも遭遇しないからだ。その間、手持ち無沙汰な時間を適当に過ごすため、図書館に行ってみたり、ネットカフェに行ってみたり、バイトを始めてみたりした。それでも時間が余る時には、帰らないためだけにファミレスで時間をつぶした。深夜近くの時間帯のファミレスでするマンウォッチングは、結構面白くて、余り飽きが来なかった。

けれどその頃から、奇妙な影が僕に付きまとうようになった。ストーカーだと感じたのは、その女と三度ほど、下宿近くで出くわしてからだった。

女は、全くの見ず知らずで、一体いつごろから僕に付きまとっていたのだろう。初めて顔を見たその時、その女は少しギクッとした顔になって、けれど他人を装うように、ぺこりと会釈をして、何もなかったように立ち去った。下宿近くの人間に詳しくない僕は、それでも、恐らく近所の住人だろうと、余りその事に頓着しなかった。他人なら、辺りに掃いて捨てるほどいる。そのうちの一人なら、どうという事もない。だから大して何かを考えたりする事はなかった。たまたま、部屋に帰る時間にすれ違っただけなのだから。そのまま、僕はそれを忘れていた。

 それから数日後、またその女と目があった。僕より少し年上で、疲れた顔をしていた。今度はあちらは、特に驚いた様子もなかった。少し笑ってまた会釈をして、僕の前から歩き去って言った。僕は、やはりこの時もそんなに気にも掛けず、バイトに行く途中で、その事は暫く忘れていた。

 三度目に会ったのは、僕の部屋のドアの前だった。大家でも管理人でもない見知らぬ女が、僕の部屋に一体何の用だろうか。何かの取立てか、それとも宅配業者か。どちらとも殆ど縁のない僕は、もしそのどちらかなら速やかにお帰り願おうと、僕は女に向かって言った。

「うちに、何か御用ですか?」

「いえ、あの……○○さんのお宅は、どちらかと思って」

「うちじゃありませんよ」

 僕はそういって、ドアの前の女を半ば無視してそのドアの鍵穴に、それを入れようとした。女は、やや強引な僕の動きに少し戸惑ったように、すぐにもドアの前を開けた。そして、何だか奇妙な声で、こんな風に言った。

「△△さんって、おっしゃるの?」

 僕はその声に、ちらりとだけ目を上げた。彼女は、変に嬉しそうな目をしていた。人間、歪んだ欲求を満たそうという時、そんな顔になるのだという事を、僕はこの後知ることになる。そうだとも違うとも言わず、僕は部屋に入った。夜も遅くて、一体こんな時間に、学生専用のアパートに何の用だろうと、不信感を拭えないまま就寝した。この時も、まさか自分のストーカーだとは露ほども感じていなかった。特別、僕は目を引くような外見でもないし、外で目立っているわけでもない。そんなものに付きまとわれるような謂れは、全くない。そう思っていたのだが、どうもそれは宛の外れた、というか、思い違いだったらしかった。

 それから、毎日のように、僕は背後に奇妙な気配を感じて暮らした。学校への行き返りも、バイトの最中も、暇つぶしに入ったファミレスでも、僕は奇妙な視線に苛まれた。最初は、寝癖でも付いているのか、ひげでもそり損ねたかと思っていたが、その視線は、執拗と言っていいほどしつこく、僕を捕らえている様子だった。見られている、気分が悪い。けれどどうして、それに一体何者に?数日の間、僕はそんな、余り気持ちの良くない、下手をすると叫び出したいほどのストレスを感じながら過ごし、それでやっと自分が着けられているその事に、思いが至ったのだった。と言っても、その原因がさっぱり解らない。借金を踏み倒して逃げているわけでもないし、その他に犯罪めいた事をした覚えもない。随分前、酔っ払った同世代の男と揉み合いになり、二、三発殴った事はあったが、それも余りに遠い出来事で、しかも最終的に交番の巡査数名に、お互い取り押さえられて事が終っている。恨みっこなし、とまではいかないが、大した遺恨は僕の方には残っていなかった。まさか今頃復讐か、とも思ったが、それにしては、視線と気配は余りに遠巻き過ぎた。そういう手合いなら、例えば数人引き連れて、僕が一人になった時、路地裏辺りで待ち伏せの一つもするだろう。試しにそんな状況を作ってみても、相手は何の反応も見せず、ただ僕の後をこっそりついて来て、どこからともなく見張っている、そんな感じだった。はっきりしない、いやな感じだった。

 それがあの女だと解ったのは、それから数日経ってからだった。偶然ではない。見つけたのだ。簡単なことだ。適当にまく振りをして待ち伏せたら、難なく女は僕に姿を晒した。確かにあの時、ドアの前にいた女だった。その時、僕と女は二人きりだった。アパートの階段の入り口の傍で、僕と女は対峙していた。女は、酷くおびえた顔をしていた。

「あんた、この間うちのドアの前にいた人だろ」

 僕は、恐らく三十は過ぎているだろう女に、そう尋ねた。女はうつむいて、哀しそうと言うか、怯えていると言うか、そんな顔で暫く黙っていた。僕は黙って、自分より背の低い女の様子を、じろじろと無遠慮に眺めていた。全くの見ず知らずの、美人とはお世辞にも言えない、冴えない女だった。暫く僕が黙っていると、女は小さな声で言った。

「ごめんなさい。もう、やめますから」

 僕はそれに、何も言ってやらなかった。何かを言う気はなかったけれど、聞きたいことはあった。何をしていたのか、どういうつもりなのか、それを問いただしたいと思っていたのに、言葉は何も出てこなかった。女はまた小さく、ごめんなさい、と言った。そして僅かに涙ぐみ、

「見ていたかっただけなの。本当に、ごめんなさい」

 見ていたかっただけ、とは、恐れ入る。僕はそう思った。思ったけれど、何も言わなかった。代わりに、その女の手を掴んで、ぐいと引き寄せた。女は酷く驚いた顔をしていた。怯えて、けれど僕に抗おうとはしなかった。そのまま僕はその女を自分の部屋に連れ込んだ。そうして、背中でドアを閉めてやると、まだ驚いている女に向かって、言った。

「ずっと見てたんだろ。どうしたかったの」

「どうって、何も……」

「じゃあなんで見てた?俺に捕まえて欲しくて、待ってたんだろ」

「そんな……私、そんなこと……」

「ただ見られてるってのも、気持ちが悪いんだよ。何の訳もないのに人の周りをうろうろしてたのか?違うだろ。あんた俺のこと、視姦してたんだろ」

 僕はそのまま、女の髪をつかんだ。振り回すようにして壁に、女の頭を打ち付けた。女は悲鳴を上げて、それから恐怖に歪んだ顔で泣き始めた。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返して、涙に濡れた顔で僕を見上げた。

「人の人権踏みにじるような真似して、ごめんなさいで済むと思ってるのか。なあ?」

 顔を近づけてよく見ると、口元が切れて、血が滲んでいた。怯えたその目の中に、僕は奇妙な光を見つけた気がした。そうだ、いつもこの目で僕を見ていたんだ。それは、暗い為か、僅かに瞳孔の開いた、少し潤んだ目だった。僕は、何だか楽しくなった。笑いがこみ上げてきて、声を立てて笑った。女はまだ怯えていたが、僕が笑い出した理由が解らないらしく、驚いてもいるようだった。僕がつかんでいた髪を離すと、女はその場にへなへなと座り込んだ。そして、驚きの目で僕を見上げ、ぽかんと口を開けていた。僕はその女の前にゆっくりとしゃがみこみ、笑いながら、息を吹きかけるようにして、言った。

「あんた、見てたんだろ。俺のこと見て、一人で楽しんでたんだろ。見てるだけで、何がそんなに良かったんだ?」

 女は僕の問いかけに、その目をそらした。そしてまた小さく、ごめんなさい、とだけ言った。質問に答えない女の態度に腹が立って、僕はその腹を蹴り上げた。女は一瞬体が浮くほどに急所を蹴り上げられて、奇妙な悲鳴を上げると、腹を抱えてすぐにその場に崩れた。暫く、低く聞き苦しいうめきが聞こえて、それが途絶えてから、僕は言った。

「気持ちが悪いんだよなぁ、あんたみたいなの。いるだけで、腹が立つ」

 そのまま、僕は女の顔を掴んだ。醜く歪んで、口許を血と涎で汚した女の顔は、だと言うのにどことなく恍惚としているように見えた。見ていると腹が立って、僕はその場でその女をもっと汚く汚すことにした。その恍惚の光が、消えてしまうように。その目が本当に怯え、それだけになって、心の奥底から許しの言葉を口にするように、そう仕向けるために。

 

 玄関先でめちゃくちゃにされた女を外に捨てに行ったのは、夜が明ける少し前だった。女はぐったりしていたが、微かに息だけはあった。あばらの二、三本でも折れているだろうかと、担いだ時の微かなうめき声で、僕は何となく思った。とうとう女は、その目から恍惚の光を消す事はなかった。泣き叫んで、何度も許しを請う言葉を発しても、その目の奥には、言い知れぬ気持ちの悪いものが潜んでいて、僕にはそれが我慢できなかった。怖かったのだ。この女はどうして僕に目をつけたのか、どこで僕を見つけたのか、僕に何を望んでいたのか、何もかもが解らずじまいで、けれどもうその時には、そんなことの答えはどうでも良くなっていた。女にしても、もしかしたら僕に目星を付けたのは、たまたまのことだったのかもしれない。しかし、たまたまの事でこんな目に遭っていては、命が幾つあっても足りないだろうに、と、僕は他人事のように思った。蹴り飛ばしても殴っても犯しても、女は逃げなかった。ただ悲鳴のような声で謝罪の言葉を繰り返し、けれど目の奥では、それを更に求めているような、そんな感じだった。求めに応じたのではない。そうなっていたのだとしても、それは結果論に過ぎない。僕はただ、怖かっただけだ。だからそれをやめて欲しくて、乱暴にその主張をしたまでだ。

「私を、どうするんですか」

 捨て置かれる寸前、女が呻くように言った。そのうち人通りができて、程なく女は見つけられるだろう。僕はそんなことを思いながら、最後に女の顔を覗き込んで、言った。

「ここに捨てていくんだ」

「……捨てていかれるんですね、私」

 女は、そう言って少し笑った。ぼくは眉をしかめて、ついこんな風に尋ねてしまった。

「何がおかしいんだ?」

「ただ見ていただけだったのに……『捨てられる』ほどになれたなんて……嬉しくて」

 それは奇妙な物言いだった。一体この女の頭の中身はどうなっているのか。異常を来たしていないのだとしたら、それ以外の何なのだろうか。吐き気さえ覚えて、僕はすぐさまその場を立ち去った。女は、僕をじっと見つめているようだった。見送る、というより、立ち去る僕を目に焼き付けようとしているようだった。気持ち悪い、気分が悪い。いっそ、殺した方がすっきりしただろうか。そんなことを思いながら僕は帰った。東の空が白み始めても、太陽が空を赤く染めても、全く気分の良くならない夜明けだった。いつまで経ってもあの女の視線が背中に絡んでいるようで、気持ち悪いを通り越して、何だか怖くさえなった。

 

 部屋に戻っても、気持ちの悪さは拭えなかった。置き去りにしたはずのあの女が、まだ僕を見ているような気がして、そして、ここでその事に怯えている僕を見て、嬉しげに笑っているような気がしてならなかった。気持ちが悪い。いらいらする。ぞっとしない。窓という窓、隙間という隙間にあの女の目がある気がして、僕はどうにも落ち着かなくなった。まるで息がかかるほど近くにあの女がいるようで、またどこかうっとりとした声で、言葉を紡ぎだしそうで、いても立ってもいられなかった。僕以外に誰もいないはずの狭いアパートには、何も潜んでいないはずなのに、人の入り込むことのできないような僅かの空間に、あの女が詰まっているようで、気色悪くてたまらなかった。そして思ったのだ。どうして僕は、あの女を殺さなかったのだろう。一思いに殺していたなら、その息の根を止めていたなら、きっとこんな風に思わなかったに違いない。あの女は生きている。多少の怪我はしているものの、もしそれが全快したら、またここにやってくるかもしれない。いやきっと、やってくるに違いない。そしてまた、どこか歪んだ笑みを浮かべて、僕を物陰からこっそり覗くに違いない。この部屋でも、学校でも、バイト先でも、時間をつぶすためだけに入ったファミレスでも、他の誰かの部屋でも、その僅かな物陰から、じっと僕を見つめているに違いない。目があったならさも嬉しげに、にたりと笑うに違いない。直感のように思って、僕はめまいを覚えた。足元がふらつく、なんて可愛いものじゃない。脳天を強く殴られて、まるで体が砕けてしまうのじゃないかとさえ思えるような、そんな衝撃だった。吐き気に、僕は口許を抑えた。気持ちが悪いのだ。あの女がいたこの部屋の空気さえもが、僕を蝕んでくるようで。僕にじわじわとしみこんで、僕の中にあの女の記憶を埋め込むようで、そしてこの体が、その為に腐ってしまいそうで。

 僕は叫んで、叫びながら靴箱の中に押し込めてあった殺虫剤を取り出して、辺りに撒き散らしていた。その臭いが鼻をついて、僅かな薬剤が目にしみて、瞬きを何度かした後に、僕は思いついたのだ。

「消毒すれば、いいんだ……」

 僕はそこにへたり込んで、それから暫く笑っていた。何がおかしくて笑っているのか、自分でさえ良く解らなかった。ただ、何だかとても安心していた。そうだ、消毒すればいい。あの女の臭いも気配も、消毒したならここから消えてなくなる。そうしたら、体に染み付いたあの女の記憶も、腐っていきそうないやな感じも、きっと拭えるに違いない。僕はそう思って、何だかとても安堵していた。あの女がまたやってきても、そうやって消毒しておいたなら、きっとここまでは近づいてこない。家の中なら、消毒したこの部屋なら、誰も僕を侵しにやっては来ない。この部屋の中にいれば、僕は汚い、醜い、自分を蝕むものに触れずにいられる。僕は何者の脅威にも晒されず、誰かの好奇の目の慰み者にもならず、自由に安寧に生活していける。消毒すれば、そうしていれば。

 そう考えて、どれほど時間が過ぎたか解らない。日が昇って、辺りがすっかり明るくなるまで、声を立てて笑ったり、或いは含み笑いしたりしながら、僕は玄関でへたり込んでいた。日が高くなって、空腹を覚えて、僕は笑うのをやめ、のろのろと立ち上がって靴を脱いだ。それから、何だかとてつもなく疲れた体を引き摺るようにして台所に行き、その辺りにあった適当なものを食べ、空腹がまぎれるとベッドに倒れ込んだ。その間、僕はぼんやりとした白い靄にでも包まれていたような感覚だった。

ベッドに倒れ込んで、目を閉じて、次にそのまぶたを開くと夕暮れだった。昨夜の服装のまま、風呂にも入らず、ひげも剃らないままだった。その日は確か平日で、学校もバイトもあったはずなのに、何故か僕はそんなこともすっかり忘れていた。そしてまた何がしかを腹に入れ、空腹を紛らわせると、僕は部屋を出た。行った先は大形薬剤店で、僕はその店で籠にいっぱいの殺虫剤を買って、また帰途に着いた。

 

「それで、二人目からは確実に殺す事にしたんです……消毒は、欠かさなかったけど……後から悔やむのはもういやだったので」

 僕がその話をしたのは、警察の、格子の入った小さな窓のある部屋での事だった。最初のストーカーから何人目だっただろうか。警察は漸く僕の周囲で不穏な動きをする女達に、気付いてくれたらしい。○月×日の何時ごろ、貴方はどこにいましたか、というような質問の後、僕はこの部屋に連れて来られた。居心地は良くもなく、悪くもなく、といった感じだ。今目の前にいるのは中年の男で、僕を部屋の前で待ち伏せしてはいたが、女達のように笑ったり、奇妙に瞳を輝かせてはいなかったので、まずその事に僕はほっとしたくらいだった。

「ストーカーされていた、と言うのは、事実なんだな?

「ええ……でもどうして僕なんかを着け回すんでしょうか……どこにでもいる、普通の学生ですよ、僕」

 ストーカーの女達は、二人目からは捨てる直前に、確実に殺す事にしていた。最初の一人は、その様子をどこかで見ているのだろうか。僕に殺されなかった事を、どう思っているんだろう。頭の奥で、僕はそんなことを思った。目の前の男は大きく溜め息をついて、変な癖のついた短い髪をいらだたしげに掻いた。そして困りきった口ぶりで、こう言った。

「じゃあお前は、殺した事は認めるんだな?若い女性を五人も、部屋に引きずり込んで、暴行して、挙句にその死体を公園の花壇に捨てた」

「だから言ってるじゃありませんか。僕はストーカーされてたんです。それが気持ち悪かったから、あいつらを始末したんだって」

 僕と彼との会話は、いまいち噛み合っていなかった。彼がいらいらしているのは、どうやらそれが原因のようだった。ここにつれてこられて三日目。そろそろ、居心地は悪くなり始めている。部屋に帰ってゆっくり休みたい。そのためには、正直に何もかも話してしまわなければならない。それで事がすむならと、僕は正直に、ありのままを話していると言うのに、この男はというと、三日前から何度も繰り返し、同じ質問ばかり繰り返していた。

気分が悪い。何だか、またどこかから見られているような気がする。殺しそびれた最初の一人が、どこかから僕を伺っているんじゃないか。例えばあの、格子の入った小さな窓の外から、ここでの会話を総て聴いていたり。僕は眉を顰めた。ここも、消毒しなければ。あの女がここを嗅ぎ付けているのなら直の事、まだなら、それを防がなくては。息をつめて、僕はその場で黙り込んだ。いらいらしていた男は、その苛立ちをぶつけるように、僕の付いている机をばん、と殴った。

「殺した事を認めるなら、何をやったのかを全て正直に話せ。どうやって彼女たちを部屋に連れ込んだんだ?

「連れ込んむなんて……だってあいつら、僕を監視してたんですよ?どこかから連れて来た訳じゃない。部屋の周りをいつもうろうろしてた……ドアを開けたら飛び込んできそうなヤツもいたし。中には無理やり入ってきたヤツもいましたよ。みんな殺したから……もう二度と、そんなこともないだろうけど」

 この部屋を消毒したい。スプレー式と発煙型の殺虫剤と、それから、今度は砒素も買おう。そうしたらきっともっと効果が上がる。ここから出られたら、すぐに薬屋に行こう。この部屋は気持ちが悪い。もっと長くとどまる事になるなら、せめて消毒だけでもしなければ。

「……こりゃ、埒が明かないな」

「明日にでも専門家を呼びますか?

「そうだな……やっぱり初日にその辺、手配するべきだったか」

 僕の目の前で、そんな会話が交わされている。どうやら当分、ここからは出られないみたいだ。だったら仕方ない。自分でできないなら、誰かに頼むしかないか。僕は思って、そこにいる一人に声を掛けた。

「あの、ちょっと頼みたいんですが」

「ああ?なんだ。便所か?

 髭面の男が僕へと振り返った。僕は肩を少しすくめて、言った。

「欲しいものがあるんです、というより……この部屋、消毒させてもらえないですか?」

「消毒?

 僕の言葉に、彼は酷く眉を顰めた。その傍にいたもう一人も、奇妙な顔で僕を見た。

「また変な女がこの辺りをうろついたら、困るでしょ。消毒してもあいつらには、効かないかも知れないですけど……しつこいから」

 それでも気休めにはなるし、僕の気分はすっきりする。目の前の二人はますます変な顔になった。僕の言いたい事がわからないのだろうか。警察官ななんてやっているくせに。思って、僕は重ねて言った。

「この部屋、消毒したいんです……何だか落ち着かないから」

 

終 

自分ツッコミ・スガシカオさん39歳のお誕生日、おめでとー!!()の割に余りにも縁起の悪い内容となってしまいました、ぐはぁっ()めでたくないですが……「魔法」です。これ聞いて「ストーカーネタをやろう」とずっと思ってまして……自分としては珍しくダークに攻めてみました、みたいな。しかしそう考えてネタを作っていると「スガってもしかして15?」とかいらん事で悩んでしまいます……まあとっくに15なんて年じゃないから何も禁じられないですけど。因みにもう一本書き始めたのは何だかとてもやおいちっく(腐女子向けって事で一つ)になったので「ほのぼのボーイズ」で別のタイトルがつけられた時に御目見えしたいです……「はじめての気持ち」っぽくないですが(スガにこだわるオイラ……)

と言う訳でお誕生日企画で御座いました。ご意見ご感想などお待ちしています。くれぐれも私は小説書きであってこれは作り話でありますのでその辺は力いっぱいご了承下さいまし。普段こんなすさんだネタ書いてません……全てはスガさんのナイスな歌詞のお蔭です()

 

 

 

 

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Last updated: 2005/7/28

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