スガネタ。

   イメージ小説「日曜日の午後」

 

 家を出ようと思っている。

 

 昨夜は飲んでいて、帰宅したら午前様だった。大学の友人と週末繰り出すのは良くある事だ。それで翌日、夕方のバイトが始まるまで自宅で寝ていることもしばしばある。別段、どうと言う事はない日常だ。けれど親と一緒に暮らしている身分と言うのは、何とも肩身が狭い。物音を立てずにこそこそ帰ってきて、そうしていると言うのにまず母親に感づかれる。もっともその第一の理由は彼女の寝室が玄関近くにあるからで、他にはないと思われる。あんた今頃帰ってきたの、遅くなるなら連絡の一つも入れなさいよ、と、さも眠たげに、さも迷惑げに言われるのだ。堪ったものではない。だったら起きてこなきゃいいだろうに、母親と言うのは律儀なものだ。そして、寝ぼけ眼でしわくちゃの寝巻き姿で出てきて、今日はどこへ行ってたの、あんまり飲みすぎちゃだめよ、あんたこのごろ毎週じゃない、と、お小言が始まるのだ。僕だって疲れているのだからさっさと休みたいのだが、その辺のことは汲んでくれないらしい。解ってるよ、いいだろ別に、自分で稼いだ金なんだから、と言い返すと、彼女は眠い中にもむっとした顔になって、一体誰のおかげで大学にいけると思ってるの、と、話を完全に違う方向へと向ける。僕はそういう時、それを何とか黙らせたり、或いは完全に無視してさっさと一人で眠ってしまう。そして都合のいいことに、たいていその話は彼女も翌朝になると忘れている。ただ、またこの子ったら夜遅くまで飲み歩いてたのよ、と、月曜の朝辺り、朝食で同席する父親に愚痴る。

父親は、朝食とともに新聞を読む。どこにでもいる平凡なサラリーマンで、一応部長とか言う肩書きを持っている。まあまあの人生を送っているらしい。新聞を読んでいるときの彼の反応は単純かつ淡白だ。ああ、とか、そうか、としか言わない。話も、聞いているんだかどうなんだか。食事を終えるとともに新聞も折りたたみ、何もなかったようにご馳走様、と言って洗面へと赴く。

月曜の朝の洗面は大渋滞だ。家族は五人で、学生は僕だけだ。姉が二人いて、一人はOLで一人は美容師をしている。どちらも、結構いい年なのだが結婚する気配がない。そして月曜に限って、僕らの出勤や通学の時間が一致する。その火家に残るのは専業主婦の母だけで、おかげで家に一箇所きりの洗面は、最も早くその場所を占拠した者だけに、自分の最も都合の良い時間に使うことを許される。加えて、我が家の面子は父を除けば、いわゆる「ケツに火がつくまで動かない」タイプだ。どうしたって洗面も台所も玄関も、込み合うものと相場は決まっている。運が悪ければ朝から姉とけんかになって、罵声を浴びせられた挙句に顔の一つも洗えずに家を出る羽目になる。なかなかとんでもない、すさんだ環境だ。悪友どもは姉二人の存在を時に羨みもするが、持ってみなければその苦労も解るまい。いや、存在を否定しはしない。ただ、嫐り者になる弟と言うものがどんなに悲惨なものか、奴らにはその辺りの認識がないのだ。悪友どもも姉も、他人事だと思って好き勝手言いやがる。もうちょっと人の身になってものを言ってみろ。そう思うことははなはだ多い。

実家は狭い。いや、大きさではなく、自分の居場所が。下宿の友達がうちにやって来た時「お前広い部屋使ってんな」とか何とか言っていたが、そいつの下宿はとんでもない狭さだったが、その狭い中にも自分の居場所は確保されている。実家暮らしの大学生男の場合、確かに自分の部屋の大きさはある程度確保されてはいるが、そこが必ずしも居心地の良いスペースであるとは限らない。朝寝坊すればたたき起こされ、休講でゆっくりできる朝にも母親にたたき起こされ、けんかが始まったりもする。だってあんた夕べそんなこと言わなかったじゃないの、という母親と、忘れてた、もしくは、言っただろ、と答える僕と言う図式、というか姿は、何と不毛で醜いことか。そんな悪循環がここにはある。何だか体を毒でも巡っているような、そんな悪循環だ。巡ってはいるけれど。必ずしもいい形の循環ではない、そんな悪循環。

実家にいるリスクはそれだけではない。何しろ、彼女を連れて来られない。いや、つれては来られるかもしれない。しかし、周りがうるさすぎる。何しろ僕らは学生だ。外で会うにしても費用のかかるこのご時勢、自分の部屋と言う勝手のいい、かつ費用の比較的かからない(当然飲み物や食べ物その他には経費がかかる)場所を自由に使えない、と言うのは、何と不自由なことだろう。家に彼女を連れてきた日には、母親は辺に緊張して上ずった声で迎えて、頼みもしないのに近所のスーパーで安っぽいシュークリームなんかを買ってきたり、ずかずかとぶしつけなレベルで僕らがくつろいでいるところにやってきて、彼女と話に花なんか咲かせてくれたりする。呼んだのは僕で、彼女は僕の客だと言うのに、ホストはいつの間にか母親になっていて、手も握らないうちに、お夕飯食べていきなさいよ、なんて展開を繰り広げてくれる。馬鹿言えよ、うちの不味い飯なんか食わせられるかよ、と、思わず言ったことがあったが、母親はそのことをいつまでも根に持って、その後時々思い出しては、大人しくその余り美味くはない食事を取っている時に、僕をねちねちといじめてくれる。不味いはたしかに言いすぎだが、母親は、お世辞にも料理が美味くない。そんなのを大事な彼女に食べられてみろ、僕の立場はどうなるのだ。しかもその時、彼女にまで叱られた。お母さんがせっかく作ってくれるのに、そういういい方ってひどいわ、とか何とか。話に花を咲かせた挙句に彼女は母親とすっかり仲良くなってしまい(その日は夕食も食べて帰った)母親が姉二人にその時のことをはしゃいで話したりしたからたまらない。縁の遠そうな二人の姉は、特定の彼氏がいるのかいないのか、その手の情報を得るとやたらに嬉々として僕に絡み始める。いい迷惑だ。

姉二人は歳が近い。僕は少し離れていて、加えて男だ。お蔭でやたらと二人は仲がいい。昔から二人で結託して僕をおもちゃにしてくれる。もう二十歳にもなろうと言う歳の男を捕まえてその扱いはないだろう、と講義してみても、相手はそれより更に年上なのだ。無駄でしかない。何とも、不幸だ。

 

「って、そういう理由で部屋探してんの?」

 大学の食堂で一人賃貸ニュースをめくっていた僕に話しかけてきたのは、元彼女だった。母に気に入られすっかり仲良くなったあの彼女だ。あの日夕食をしっかりと食っていったにも拘らず、母とすっかり仲良くなったにも拘らず「やっぱり何か違うのよね」とあっさりフラレて、しかし同じ講義だったりプレゼミだったりで、顔を合わせないほうがおかしいくらい、彼女とはよく遭遇する。そして仲良くお友達だ。と言っても僕は承諾していない。何しろまだ気があるからだ。特別綺麗でも可愛くもない、ややもすると口うるさくて怖い類の彼女に、なんで自分がこんなに固執しているのか時々わからなくなるが、それがホレている、とか言う状態なのだろう。だからどうした、短気で凶暴で可愛げのない、料理も大して上手くない女だ。でもホレてるんだ。そんなけなげな僕にも拘らず、彼女の方に復縁の意思はない。と言いながら新しい男の気配もない。そして、僕らはとても殺伐としていた。僕は元々女に対して丁寧な口の聞き方もしなければ、いわゆるお姫様な扱いというのもしない。当然だ。あんな姉どもに虐げられて生きてきたなら、女がどんなに強い生き物なのか、いやでも解る。相手はそういう生き物ではないのだ。対等で充分だ。ただ、腕力がないその点では、大いにカバーしてやるが。彼女も最初は僕のその辺りに惹かれたらしいのだが、どの女に対しても同じ様な扱いなので、その、最初の取っ掛かりで最後の砦のような印象による好意も、冷めるのは一気だったらしい。母親の料理を不味いと言った辺りもダメージだったらしいが。とにかく僕と彼女はそんな風につるんでいても不自然ではない関係だった。

「呆れたやつね。何よ、どこに不満なワケ?」

 テーブルについてページをめくる僕を見下ろして、彼女はさも不服そうに言ってのけた。僕はそちらをちらりとだけ見て、

「不満も何も。だらけじゃねぇか」

「何言ってんの。鴇田なんか見てみなさいよ。進学のために下宿、って親に頼んだら「学費は出すから家賃は自分で稼げ」とか言われてんのよ?お蔭でコンビニの深夜バイトで稼いでも、他にも色々物入りで遊ぶ小遣いにもならないって嘆いてたわよ?あんたは自宅から悠々自適に通えるんだから、そんなくだらない理由で家出るなんて」

「うるせぇ。お前にそんな風に言われる筋合いはねぇ」

「ったく……本当、あんたってガキね」

 彼女はそう言って溜め息をついた。僕はもうそちらを見なかった。彼女は暫くそんな僕をそこで見下ろしていたが、おもむろに僕の目の前の席に付くと、そこで頬杖をついて言った。

「ねぇ、やめときなさいよ、そんなこと。一人になったって、上手くやってなんかいけっこないわよ」

「そんなの、やってみなきゃ解んねぇだろ」

「何言ってんのよ、マザコンの上にシスコンの癖に」

 溜め息混じりの、あからさまに僕を馬鹿にしているような声に目を上げる。彼女は馬鹿みたい、と顔で言っていた。僕はそんな彼女に、恐る恐る尋ねた。

「今、何つった?」

「え、今って?」

 言いながら、彼女は目をしばたたかせた。そして、ああ、と言ってから、

「だってそうじゃない。マザコンのシスコン」

「ちょっと待て、どうして俺がそうなる?」

 彼女は、露骨と言うか我が事ながら解りやすいほど眉をしかめた僕を見て、そのままあっさり言った。

「だってそうでしょ。あんた、口開いたらお母さんやお姉さんの話ばっかり」

「俺がいつお袋や姉貴の話なんかしたよ?」

「いつもしてるじゃない。遅く帰るとお母さんがうるさいとか、お姉さんがいつまでも家にいて鬱陶しいとか」

「そりゃそういう話はする。けどそれとこれとは違う」

「違わないわよ。他に話題がないのかってくらい、いつも家族のことばっかでさ」

 あーあ、と彼女は言って、腰掛けていたいすの背もたれの上で大きくその背を反らせた。

「それでフェミニストって来れば、どう考えたってマザコンのシスコンじゃない。そんな男がうち出て一人でなんて、やってけるワケないでしょ」

 完全にそれは呆れ口調だった。僕はめくっていた不動産情報誌の上に手をついて身を乗り出すと、自分でも良くそんな声が出るな、と思える素っ頓狂な声で言った。

「俺がフェミニスト?なんかの間違いだろ?」

「どこが間違いなのよ?さり気に女の子の荷物持って、文句一つ言わないで運んだりして。同じゼミの子が雨降って帰れないって困ってた時、あんた何度駅まで車で送ってった?それも、あたしじゃない女の子を」

 そこで微妙に「あたしじゃない女の子」辺りが強調されていた。が、論点はそこではない。僕は言い返す。

「だって困ってんだぞ?知り合いだし。送るくらいするだろ。帰る途中だし」

「学内でこけて捻挫した見ず知らずのおば様背負って医務室まで運んだ馬鹿は、どこのどいつよ」

「ありゃ……目の前でこけたんだぞ?あのばばあ。無視するわけにいくかよ」

 ふうううう、と彼女は溜め息をついた。そして、怒りさえこもった目で僕を見て席を立つ。

「おい、ちょっと待てよ」

「その辺がフェミニストだって言ってんの。あーもー、あんたの相手してると疲れるったら」

 確かに彼女の言うような事件はあった。しかし、それを助けたからと言ってイコールフェミニストだと?それは何か違うだろう。思っている僕に一瞥くれて、彼女は歩き去っていく。

「おい、ちょっと待てっつってんだろ!

留めようと声を掛けると、彼女は僕を蔑むような目で見て、言った。

「ほんっと、馬鹿なんだから。ちょっとは自覚しなさいよね、そーゆーの」

「……何がだよ」

「何もかもよ、鈍感馬鹿」

 そう言い残して彼女は歩き去っていく。一体何が気に食わないんだか。僕は見送って、それからまたそのいすに座った。家を出たいと思って何が悪い。どうしてあいつに止められなきゃならない。そもそも、どうしていつか誰かを駅に送っていったことや、どこかのおばさんを背負って医務室に運んだことをここで責められる必要があるのだ。しかも自分を振った女に。思って、僕は酷く気分が悪くなった。それもこれも、あの家のせいのような、そんな気がした。母親や姉達と一緒に暮らしていなかったら、自分はこんなではなかったかもしれない。

確かに、僕は女族全般に対して押しの弱い所はある。それは特別奴らを大事にしているとか、そういうことではない。敵わないと知っているからだ。奴らは強かなのだ、腕力を除いては。良く「女は泣けば済むと思っている」という奴がいるが、奴らはそう思っている訳ではない。泣いたら吹っ切ってしまうのだ、何でもかんでも。それだけで、男ならいつまでも吹っ切れないような大問題を、あっさり、一晩かそこらで片付けてしまうのだ。侮れるものか。弱いから嘆く?冗談じゃない。あれは八つ当たりだ。片付けられないストレスを、ごり押しで叩き潰しているだけに過ぎない。そんな生き物のどこが弱かったり、何から守ったりしなきゃならないのか。冗談じゃない。ここまで解ってて、なんでわざわざ味方なんかしてやる必要があるんだ。自分がフェミニストだなんて、思ったこともない。それとも、あいつは違うのかな。ふと僕はそんなことを思った。

あいつは、自分の知っている女族とは違うのだろうか。いや、そんな事もないだろう。やたらと母親と気が合っていたし、一緒になって僕を攻撃したりもしていた。僕より母親と話が合っていたようだし、何より、男ではない。どこかに違う点があるとするなら、あいつが「他人の女」だと言うことくらいだろうか。僕は暫し考え込んだ。確かに、あいつと家の女共は違う。母親も姉達も、誰かを送ったり助けたりした話を聞いたなら、面白半分に冷やかしてきたりはしても、あんな風に腹を立てたりはしない。何だかんだとけんかをして、確かに憎たらしいけれど、それは肉親だから感じるような憎たらしさで(家族愛なんて言ってたまるか、そんなものはうちには皆無だ)殺したいとか消えてなくなれとか、思わないとは言わないが、一時的なことだ。あいつにも、同じことは感じる。でもやっぱりほれている。というより、これだけ嫌いな女族の中で、唯一好きだといえると言うのは、中々な存在じゃないのかと、そんなことさえ思える。が、

「何が気に食わないってんだ、あいつは」

 僕は広げていた不動産情報誌を閉じて、一人でぼやいた。僕が一人暮らしをしていたなら、きっともっと一緒にいられると思うのに、そういう観点は向こうにはないのだろうか。もっとも、別れてしまった今となっては、そんなことに考えも及ばないのかもしれないが。

 

 とにかく、家を出ようと思っている。

 あの家にずっといると、ろくな事にならない気がする。ストレス過多の姉どもには、日々八つ当たりのような扱いを受け、頭数の都合でことごとく敗退しているし、テスト期間中、レポートを貫徹で仕上げて、早朝から風呂に入るにも邪魔をされるし、毎日毎晩の風呂の順番も、団子になるような家だ。正気の沙汰では生活できない。大体、女が朝も早くから洗面台やトイレの順番を争って男の僕と言い争いをすると言うのは、どうなんだ。そんなに身支度に手がかかるならさっさと起きろと何度言ったところで、低血圧を理由にあっさり退けられてしまうし、男には解らない都合だと半ば馬鹿にでもされるように言われては、こちらには何が言い返せるものでもない。

誰にも何も言わせない、そんなところへ出て行ってやりたい。何が出来ると言うわけでもないけれど、これ以上の悲惨な生活を送るのは、もうごめんだ。何もかもが不幸に感じるような、そんな場所に延々、居座っていたくないのだ。

 

「あんた、ろくにご飯も作れないくせに、何言ってんのよ」

「そうよそうよ。こんなに大きくなっても何にもできないくせに。一人で暮らしたりしたら、飢え死にして死んじゃうわよ」

 姉どもはそう言って、ニヤニヤと笑っている。父親は食事をしながら、いつものようにどこか憮然として、

「家賃くらいは自分で稼ぎなさい。もう子供じゃないんだ」

 そして母親は母親で、聞いていないようでしっかり、その発言を聞いていて。

「一人で住む必要がどこにあるの。家賃だけじゃなくて、生活費が全部稼げるようになってから、そういうことは言いなさい。全く、いつまでたっても子供なんだから」

 

 とにかく、誰に何と言われようと、家を出ようと思っている。

 でないと、僕は幸せという奴にめぐり合えない。

 ただひたすら、現状に甘んじて、大して不幸でもないかもしれないだけの場所にいるのは、我慢がならない。

 

「うるせぇ、やってみなきゃそんなのわかんねえだろ」

「あー、無理よ無理。お風呂の支度もろくに出来ない男が、ねぇ?」

「そうそう。米の洗い方もわかんないじゃないの?」

「って、てめーらだって風呂の支度も飯の支度もしねーじゃねーか」

 

 とにかく、家を出ようと思っている。

 その気持ちは変わらない。

 

「やかましい!だから外出るっつってんだろ!何か文句あんのか!」

 

日曜日の午後・完 

 

 

自分ツッコミ・こんなんできました〜(笑)私の「日曜日の午後」はこんな感じです。何だか特別不幸じゃないけどあんまりシアワセじゃない感覚、ですか。若い頃には何もかもが理不尽な頃がありますよねぇ、みたいなネタです(ちょっと違う)てゆーか学生の頃の男の友達(今となっては誰とも音信不通)が何だかこんな感じだった気がしますが、みんなちゃんとシアワセだったのかなぁ……まぁどうでもいいことですけども。とりあえず前のあれよりは健全でよかったです(笑)やはり誕生日とか言うアレはプレッシャーなことだなぁ(ナンカチガウ……)

 

 

 

 

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Last updated: 2005/10/11

 

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