スガネタ。

 

   イメージ小説「斜陽」


 

彼女と会ったのは、実に四年ぶりのことだった。大学卒業以来のそれは、まず僕の勤め先のロビーで、そしてそこから移動して、やや大きめの公園でなされた。

「いやー、でかいとこに入ったって聞いてたけど、本当にでかいね、杣木の勤め先は」

初夏の夕刻。訪ねて来た彼女はまだ仕事中だからという僕に、だったらどこかで待つから、と言った。営業先から戻ったその時、彼女は会社の受付で受付上を前に「アポは取ってないんですけどー……やっぱりないとマズいですか」などと、やけに子供っぽい事を訪ねて困っていた。中身の方はあの頃と余り変わっていないらしい。彼女を見た僕も「何やってんだあいつは」と、これまたその当時と全く同じ感覚で、驚きもしたし懐かしくも思ったけれど、もっと勝るものがあるのだとその時点で気がついてしまっていた。

「って、俺の勤め先なんて、誰かに聞いて知ってたんだろ?どうせ」

「まぁね」

呆れ口調の僕に、何処かいたずらっぽく彼女は言った。うふふ、とやけに楽しそうに笑う顔は、あの頃と殆ど変わらない。いやでも、少し痩せたか。髪を染めもせずにいる、黒いパンツスーツ姿(会社を訪ねると言う理由だけのチョイスらしい)の、元々そうだが細身の彼女は、変に嬉しそうな顔で笑いながら、ベンチに腰掛けて、その前に立っている僕を見上げていた。

「元気ついでに、しっかり働いてるみたいだね」

「まぁな。そっちは?」

「残念ながらいわゆるニート。この間までバイトしてたんだけど、色々あってさー」

笑う彼女を見下ろして、僕はふて腐れていた。腹が立つとか彼女と一緒にいるのがいやだとか、そういうことではない。こいつ(そう、こいつはこいつで充分だ)といるときの僕はいつもこんな感じだった。楽しくないわけでも、苛立つわけでもなく、でも、よほどのことがないと笑えないのだ。理由は色々あった気がする。でもほとんど覚えていないし、自分でも上手く説明できない。笑えないことが多い、それは確かだが。

「大丈夫なのかよ、そういうの」

にーと、の発言に、ふて腐れていた僕は眉をしかめた。笑ったままの彼女は、

「大丈夫な訳ないじゃん。無収入だよ?もう、小遣いとか、中学生並だし」

そんなことを言いながら、少しだけ困った顔をした。僕はすかさず、

「貸すような金なんか持ってないぞ、あいにく」

「やぁねぇ、たかりに来たんじゃないわよ。最も杣木君のお財布なんか、あてにできたもんじゃなかったじゃない?あの頃は」

しかし僕の切り返しより更に早く、彼女はそう返して来た。この女に、僕はなかなか勝てなかった。四年経った今は、どうだろう。多分勝てないに違いない。でも別に、そのことにも腹が立ったり悔しかったりするわけではない。それでいいのだと、あの頃に自分で決めてしまっていて、そうでないと調子さえ狂う、そんなところが僕にはあった。いや、僕らの間には、か。こいつには勝てない、そのほうが平和だ。けれどそれでも、僕は最後まで抗うのだ。そしてわざとではなく負ける。そうすることで安堵が得られる、というのも、変な話なのだが。

「ああでも、今はちゃんと働いてるし、主任さんだっけ?それなりに御飯くらい、おごってもらえそう?」

えへへ、と彼女が笑う。僕は嘆息して、

「やっぱりたかりに来てんじゃねぇか」

「やーねー、違うって言ってるでしょ?ご飯くらい自分で食べますよーだ」

言い返すと、舌まで出して彼女は言った。僕はその様子にほっとして、何となく笑みを漏らす。元気そうだ、そして変わらない。あの頃と変わらない彼女がそこにいることが、僕はとても嬉しかった。そうやって一人笑っていると、彼女はそれに気がついて、今度は怒ったような顔で僕に詰め寄ってきた。

「何よ?何がおかしいわけ?」

君のその仕種が、余りにも可愛らしくて、と言ったら、こいつはどんな顔をするかな。僕は胸の中で思った。けれど口に出して言ったことはない。出てくるのはいつも憎まれ口ばかりだ。いつも詰って罵って、僕は詰られて罵られて負かされる。でもそれが僕と彼女だった。いや「可愛い」とか言う科白は、切り札にとってあるのだ。それを使うとそいつは真っ赤になって向きになって、どうしてか怒り始める。それがまた可愛いと言うか、見ていて飽きないので、僕はそれを何となく自分への御褒美のようにして、あまり使わないでいた。

ここまで言えばたいてい誰にでも解るだろう。学生の頃、彼女とは付き合っていた。卒業とともにどちらからともなく、途絶えて消えてしまってはいたけれど、何やってんだこいつは、と思った瞬間に、僕の方はその頃と変わらない状況に戻っていた。勿論、そこには懐かしさもある。それでももしここからまた始められるなら、それはそれで全然構わない、そんな、おかしな核心さえあった。とは言うものの、僕と彼女の間柄は傍目から見ると男女のそれというよりも、親密な友人関係以下でしかない、らしい。でもそれも無理からぬことかも知れなかった。何しろ僕ときたらいつもふて腐れていて、一緒に歩くのに手も繋がないし、ものの言い方には剣がありすぎたし、気がつくといつでも口論ばかりしていた。それでも僕と彼女は、仲間内にもそう認識、されているようないないような感覚でずっと付き合っていた。他の誰かとした恋とは違うけれど、それでも、これが死ぬまで続くのも悪くない、と僕はその頃思っていた。多分今でも、これからそうなって一生それが続いても、特に何も支障はないだろう。彼女はそういう相手だった。多分、そんなことになったことはないが、他の男に取られたりしたら、僕はいてもたってもいられまい。ただ彼女は、その辺りをどう思っているかはわからないが。

「それで、何の用だ?ニート」

「ニートって呼ぶな、失礼だぞ」

「じゃ……宇奈月さん?」

僕は何気に、彼女の苗字を口にした。そんな風に呼んでいたのは出会って暫くの、ほんの短い間で、その名前は口になじんでいなかった。彼女はあれれ、とでも言いたげな、少し驚いた目になると、

「ナニソレ。ってゆーかいいよ?ナツで」

そう言ってまたその顔を緩ませる。それを見下ろす僕は、そんな彼女にひねくれた言葉を返した。

「自分の彼女でもない婦女子を呼び捨てになんかしてみろ、セクハラだぞセクハラ」

「それは他人の場合でしょ?あたしはあんたの友達だもん、別にいいじゃないよ」

彼女はそう言ってその、何も塗っていない唇を尖らせた。友達だから、かよ。内心、僕は吐き捨てた。それ以上のことを期待しているのは、やはり僕だけか。とは言え、元々彼女とは友人同士だったし、そう言われても痛くもかゆくもないと言えばそうだった。それに、本当はそんな呼び方などどうでもいいのだ。近くにいることが叶いさえすれば。僕の感情はそういうもので、ブランクがあるにも拘らず、やや危険なレベルだった。けれどそれは、独占欲とか愛欲とか、そういう類ではない変な感情だった。近くにおいておかないと、不安にはなる。どこかへ行ってしまいそうだという不安もさりながら、近くに置いておかないと落ち着かないと言う、心細さというよりも、物足りなさのようなもの、か。上手く説明は出来ない。この女に、それを知らしめるには、どうしたらいいのだろう。僕はいつもそれを思っていた。そして今、それを思い出して、まだそれがくすぶっていることを、当然の様に受け止めていた。驚きはしなかった。

「で、何の用だ?ナツ」

いつものように呆れた顔で尋ねると、ナツはまた顔を緩めるように笑った。変な事にご満悦のようだ。そう言えばこいつは最初に「ナツでいいよ」と言って僕がそう呼んだ時から、いつもこんな顔をしていた。そう呼ばれたいらしい。でも、他の誰も僕の前でナツをそう呼んだことはなかった。だからそれを「特別扱い」なのだと、僕は思っていたし思いたかった。変な焦燥ばかりを煽り立てられて、いい迷惑だと、思わないわけでもないのだが。

「用って程でもないけど、急に会いたくなって」

「四年も放置で、今頃か?」

「それはお互い様。杣木だって大学卒業してから、一度だって連絡してこなかったじゃない。どうしてよ?」

「俺のガラじゃないだろ、そういうの」

「は?ガラ?放置プレイがガラ?」

あきれ口調でナツが言った。その物言いにむっとして、僕は言い返す。

「お互い様なんだろ?その辺は」

「……まぁ、そうだけどさ」

ぶつぶつ、と言ってナツが黙り込む。いいこめたらしい。けれどこの後大抵反撃されて、僕は負けるのだ。悔しくは感じても、後にそれが残る事もなく、マゾかとも思うのだが、彼女に負けることで僕は安堵する。こいつが、いつもと変わらずに安寧である、それがその証だからだ。

「杣木くんさ」

「何?」

「なんて言うか……あのころビミョーにもててたじゃない?だから、その……」

もごもごと、彼女が何やら言い始める。上手く聞き取れないがそれでも意外としか言いようのないことを口走られて、僕はそれに驚いた。声も思わずひっくり返る。

「はぁ?何だそりゃ」

「いや、だからその……こちらとしても、気を使っていたと言うか、その……」

もごもご、と始まった言葉は、もごもご、と終った。僕はそのまま黙って、もごもご言い終わってそっぽを向いた彼女をただ見ていた。奇妙な沈黙が降りる。黙ったままの僕から目をそらしていた彼女は、ちらりと僕を見、すねたように言った。

「何よ……何黙ってるのよ」

「あ、いや……別に……」

「どうせあたしみたいなのがそんな風に思ってた、なんて、らしくない、とか思ってるんでしょ」

「……うん」

眉をしかめた彼女の言葉に、僕は素直にそう答えた。意外なのも事実だし、そのことに、僕は驚いていた。いや、驚くほどのことでもない。こいつは、何も考えていないように見えて、何もわかっていないように見えて、その実、あまりにたくさんの事を思い、周りを必死に伺っている。そういう変な気の回し方を、一体どこで覚えたんだろうと思えるほどに、だ。そして僕は同時に、そうさせていたことに落胆する。そんな風に思って居たことに気がつかないほどに、自分は鈍いのだと言うことが、時折やりきれなくもなるのだ。

「ナツ」

「何?」

「いや……何って……」

何か言おうと思ったのに、言葉は見付からなかった。彼女はすねた目で僕を見て、それから、少し困ったように笑った。

「……ナツ?」

「あんたのことだから、どうせ「そんな無駄なことするな」とか、思ってんでしょ?解りやすいなぁ」

笑われて、僕はむっとする。無駄なこと、ではないだろう。それはお前がそれだけ、周りを大切にしている証なんだし。だけどそんな風に、俺にまで気なんか、使わないでくれ。思っても、それは言葉にはならなかった。僕は悔しい目で少しの間ナツを見ていた。何も言わない僕に、もっと笑ってナツは言った。

「あ、図星だ?」

「別に、そうじゃないけど……」

「そうじゃないけど、何よ?」

彼女はあの頃と変わらず、楽しそうに無邪気に笑った。僕はそれが、嬉しくもあり、同時に悔しくもあった。その楽しげな笑みを久し振りに見られた、それは嬉しかった。でも、あの頃に、そんな下らないことに捕われていた彼女に気がつけなかったことも、今更そんなことを感じている自分が、悔しい。ナツは無邪気に笑っていた。笑って、くるりとその身を翻した。

「元気そう、って言うか……変わってなくて良かった」

そう言ってまた笑った彼女の笑みは、あの頃よりずっと大人びて、そして綺麗だった。僕はそんな彼女を見詰め、そして、こう尋ねた。

「何しに来たんだよ、本当に」

「別にー。ただ「元気かなー」って思って」

「嘘つけ」

それは僕なりの抵抗だった。変わっていないのはお互い様だ。こいつはあの頃とぜんぜん変わらない。多分今でも、回りを大切に思って、しすぎて、くだらないことに捕われているに違いない。そしてそのくだらないことのために、自分をすり減らしているに違いないのだ。

「じゃなんで急に来たりするんだよ?元気かどうかなんて、誰かに聞きゃわかることだろ?」

「そんなことないよ。ちゃんと顔見て話したりしなきゃ、そんなの……」

「じゃ、なんであんなこと、今更話すんだよ?」

「それは、あんたが聞いてきたからでしょ?」

「子供じゃないんだ、他に誤魔化しようだって幾らでもあるだろ?」

僕はそう言ってナツに詰め寄った。ナツはむっとした顔になって、

「じゃあ誤魔化されたかったわけ?あんたの他に好きな男が出来たとか、そういうこと言われたかったわけ?久し振りに会う友達に、なんでわざわざそんな嘘なんか……」

「つききれない嘘なら最初からつくな」

「なっ……」

「最後に俺のとこで暴露するんだったら、あの時言えば良かったんだ。俺はお前の何だったんだよ、え?」

僕は怒鳴るように言った。ナツは驚いて、その肩を僅かに強ばらせた。悔しくて哀しくて、腹が立つ。結局自分はこいつには勝てない。離れて手放したくせに、去るものを追うほどに執着もしていなかったくせに、今更そんなことを思い知らされる。これは何だ?このやるせなさは、何の為だ?

「杣木」

「何だよ」

「いや、あの……怒った?」

間抜けな問いが投げられた。怒らせた本人は、多分それは解っているだろう。でも、どうしてなのかの見当まで着いてはいないらしい。ナツは少しうろたえて、

「ごめん、ごめんね?でもあたし、別に昔のことなんかどうでもよくて、ただ本当に、杣木に会いたくて、でもなんか、そんな話になっちゃって……」

「……そんなことで、怒ってるわけじゃないよ」

顔を手で押さえて、僕は嘆息した。何やってるんだ、俺は。そう思うと、今度は情けなさで胸が一杯になった。確かに今更だ。あの頃彼女が何を思って僕から離れたのかも、僕がどうして追わなかったのかも、今更突き詰めても、何かが変わったり良くなったりする訳ではない。でも。

「杣木?」

嘆息する僕を、心細げにナツが呼んだ。僕は顔を上げて、そこにある不安そうな顔に言った。

「お前……今、一人なのか?」

「え?」

訳がわからない、とでも言いたげな顔でナツはいった。僕も、何を言っているのかよく解らなかった。どうしたいのかは、解っていても言葉になって出てはこなかった。もう一度僕は息をついた。そして、よくもこんな事が言えたもんだと、そんな言葉を口にした。

「お前みたいなのが、働きもしないでうろうろして、昔のことなんか蒸し返したら……気が気じゃないよ」

「……何、それ」

「俺はお前のそう言うの、近くで見てても解んねぇし、鈍いし、気がつかないし……どうしていいのかも、解んねぇけど」

けれどそれでも、何とかしたいというのは、エゴだろうか。こいつが何を求めて何を望んでいるのか、解らないし、叶えてもやれない。だけど、もっと簡単に、嘆いたりわめいたりする場所をつくってやりたいと、そう思うのだ。癒すとか救うとか、そこまでのことは出来ないにしても、せめて近くで、その不安を少しでもやわらげたい。

「杣木?」

「バカヤロー、成年男子泣かせてんじゃねーぞ、こら」

「は?」

涙は、本当に滲んできた。どうしたらいいのか解らない、それでも何とかしたい。叶う事なら君を救いたい。でも、それが言葉にならない。ナツはおろおろして、ただ僕の前でおたついている。僕はその涙を拭うと、そんなナツに向かって言った。

「俺はあの時と変わってない。だから戻って来い」

「戻るって……どこに?」

「俺のそばに。ずっと俺のとこにいろ。でないと気が気じゃない……怖いんだ」

それは思慕とか独占欲とか、多分もう恋ではない。彼女が心安く、落ち着いていられないかもしれない、そのことに対する恐怖だ。ナツは僕の前で困った顔をしていた。何を言われているのか解っていない感じで、訝しげに僕の顔を見詰めている。

「杣木?」

「そばにいろ。そしたら、何かあってもすぐ解るし、何とかしてやる。俺はお前が平気そうな顔で全然平気じゃないって言うのが……すごく嫌なんだ」

きっとそばにいても、僕が彼女を苛むし、追い込むだろう。もしかしたら、心を許してくれないかもしれないし、僕には手も足も出ないのかもしれない。思って、僕は夏を見つめた。ナツは少し黙って、それから、

「……ごめん杣木、あたし、そういうつもりで会いに来たんじゃ、ないんだ」

そう言って、困った顔で笑った。笑えるはずもなく、僕はそんな彼女を無言で見た。

「元気でやっててくれれば、それで良かったの。話すことなんて……なくもないけど、だけどやっぱり、あたしも会って話したりしたくて……だけどそういうつもりは、全然ないから」

あわてたように困ったように、ナツはそう言った。けれど僕の頭に、その言葉は届いてはこない。ぼんやりした僕を見て、えへ、と、わざとらしくナツが笑った。そしてまた、言葉を続けた。

「懐かしくて……杣木のこと、今も、何て言うか、すごく好きだけど……そういう気持ちじゃないし。そんなこと言われるとか、全然思ってなかったし……引っ掻き回すみたいなことして、こんなこと言っても……ごめん本当に、迷惑って言うか、あたしひどいヤツ……」

あはは、と、またわざとらしくナツが笑った。笑って、それからナツはこう言った。

「あたし……もうちょっとしたら結婚するの」

「結婚……?」

「ほらあたし、こういう風でしょ?下手に社会に出しといたり放し飼いだと、家族が心配して。だからそういう風に、何て言うか、ちゃんと面倒見てくれる人のところに、お嫁に行った方がいいのよ」

僕には言葉もなかった。ナツは困ったように、それでも笑って、

「それで……何か杣木のこと、ちょっと思い出して。ほらあたしたち、自然消滅って言うか、ちゃんと終わってなかったし?で、気になったら止まらなくって、ちゃんとさよならって言わないと、この先に進めないかなー、とか思って……すごい、自分勝手だけど……杣木だってこんなのそばに置いといたら、多分色々困る……」

「ふざけんな」

僕に言えたのはそれだけだった。腹も立ったし、悔しくもなったし、哀しくもなったし、とにかくショックだった。何だこいつは、この女は。自分勝手で人の気持ちを振り回して、それでオチにこれか。散々な目に会わされて、僕は頭に来ていた。でも、そんな相手でも、踏みにじられて馬鹿にされて、それでも、怒る以上の何かには至らない。憎んだり忘れたりなど、出来るものか。だと言うのに、ナツは困った顔で笑っていた。笑って、

「ほら、ふざけてんのよ、あたし。色んな事が。だから杣木みたいな人とは一緒にいないほうがいいのよ。ね?嫌いになったでしょ?」

「ふざけんな!お前は俺のそばにいろ!」

僕は叫んでいた。そう言う以外にどうしようもなかった。ここまでワガママに振り回されて、引っ掻き回されて、それではいさよならだ?そんなことが許されると思ってるのか、こいつは、この馬鹿は。そう思うと腹が立って仕方なかった。ナツは驚いて僕を見ていた。僕は今まで黙っていたその反動のように、大きな声でわめくように言った。

「何が「ちゃんと終わってない」だ、自分から放棄しといて。それで俺のこと引っ掻き回して、こんな思いさせて「嫌いになった」だ?そんな事聞いたり思わせたり、謝ったりする前に、もっと言えることがないのかお前は!」

「だ……だからごめんって……」

「謝って何でもかんでも済ませる気か!十代のガキじゃあるまいし、そんなんで償えると思ってんのか!お前、これで俺がどうにかなったらどうしてくれるんだよ!その先の事なんて考えてもないんだろ!」

「だからそれは……その……これでおしまいってことで……」

「俺は終らない!余所の男となんか結婚させるか!百歩譲ってもお前が本当に好きな相手と以外、そんな事させられるか!」

「そ、そんなこと言われても……」

「お前に文句たれる権利なんかあるか!いいか、俺だけじゃない。お前の回りでお前が大事だと思ってる全員、俺と同じこと言うぞ?家族が心配するとか誰かに迷惑かけるからとか言ってるけどな、それが一番迷惑なんだよ!お前みたいなぐずぐず考えてとんでもない事するくせに一番大事なことが言えないような馬鹿は、確かに放し飼いにしといたらとんでもないことになるけどな、お前の認識とは違う意味でもうとんでもないんだ。お前が本当の幸せでなかったら、そんな風に落ち着いたって誰も安心できないし、逆に怖さがますだけだ!「迷惑かけたくない」じゃない!俺にはかけろ!なんかあったら泣きついて、壊れる前に「助けてくれ」って言ってくれ、頼む!」

それは最後には、懇願になっていた。怒鳴って、わめいて、怒って当たるようではあったけれど、それは当り散らしているのではなくて、ただ願っての言葉だった。一人にはしておけない、不安どころか、怖くなる。こんな気持ちを抱えて、それでも放置しろというのは無理だ。こんな気持ちにさせておいて逃げようというのは、余りにもひどすぎる。

確かに、彼女に出会わなければ、こんなことにはならなかった。でも今更、それを覆すことなど出来ないし、ここまで来て、忘れたり切り捨てたりすることも出来ない。じゃあどうしろと言うのだ、この恐怖をどうやって捨てろと言うのか。僕はそんな気持ちだった。もう一度会って、思い出して、自覚して、後に引けるような、そんないい加減な気持ちではなかった。

「杣木……?」

黙ってしまった僕をナツが呼んだ。僕はまた溢れた涙を拭って、自分で、けんかに負けた子供みたいだと思った。こいつには色んな意味で叶わない、それが悔しい。でも歯が立たなくても、手放さないでいられるなら、それでいい。ナツは不安というより心配そうに僕を見ていた。僕はそんなナツに歩み寄って、乱暴に揺さぶるように、その肩を掴んで引き寄せた。首に腕をかけるようにして捕まえると、よろける様にしてナツは僕の胸に収まる。

「やっ……ちょっと杣木!」

「黙ってろ。お前に何か言う権利はない」

「でもっ」

「でももくそもあるか。もうどこにも行くな。俺の目の届くとこにいろ。でないとこのまま監禁しそうだ」

「ちょっとそれ、犯罪……」

「バカヤロー、そんなに愛されてんだ。お前だってそんなに……嫌じゃないくせに」

「何言ってんのよ、誰が杣木なんか……うぬぼれてんじゃ、ないわよ……」

抵抗しようとしていたナツは、けれどそうしきれずに、その声もだんだん小さくなっていった。僕はナツの頭をぐしゃぐしゃとかいて、胸に寄りかかった彼女の肩に腕を回した。心地好い暖かさと重さがそこにある。抱きしめると、彼女は小さく言った。

「杣木の馬鹿」

「何だよ、お前のほうが馬鹿じゃねぇか」

「後でどうなっても……知らないからね」

「何が?」

どうなっても、きっと悔やまない。失うほどの事にならない限りは。思いながら僕は笑った。ナツは悔しそうな顔で僕の胸を押して、密着した体を浮かすようにすると、そのまま僕を睨みつけた。それは今にも泣き出しそうで、責められても別に痛くもかゆくもない、そんな目つきだった。

「本当に……どうなっても、知らないからね」

「だから何がだよ」

勝ったかな、と思いながら僕は言った。ナツは何か言いたそうにしていたが、またすぐ僕の胸に戻って、ぴったりとその体を僕に寄せた。もう一度腕に力をこめて、僕は笑いながら彼女に言った。

「もう絶対逃がさないからな。何があっても、死ぬまで絶対に」

「そんな恥ずかしいこと言って……絶対後悔するんだから」

「お前、ここは素直に「はい」とか言えよ、可愛くないな」

「可愛くなくていいもん。杣木にそんなこと言われても、信用できないし」

「まあそうかもな。でも俺、面食いじゃないし」

「ナニソレ、どういう意味?」

腕の中で、まるで子供のようにナツが憤慨する。僕は笑って、笑いながらこう付け足した。

「それ以前にアレか、マゾか何かかな」

「ちょっと待ってよ……そーゆーアレなわけ?って言うか、それだとまるであたしが女王様みたいじゃない?」

ナツがまた顔を上げる。少しだけ低いその顔を見下ろして、僕はまた笑った。

「でもお前どっちかって言ったらサドじゃん。俺なんかいじめられっぱなしだぞ?」

「そっ……そんなことないもん」

ぷう、と彼女が膨れる。僕は見下ろして、揶揄う様に言った。

「お前本当に、可愛いやつだな」

「なっ……何よ!今さっき可愛くないって言ったでしょ?どういう感覚してんのよ!」

「俺は素直で正直なんだよ、思ったこと全部言っちまうの。本当、お前って可愛いよな」

ナツの顔が見る見るうちに赤くなる。見下ろして、僕は勝ち誇った気分だった。腕の中、ナツはううう、と呻いて、とうとうこんなことを口走る。

「杣木のバカ!」

「お、出た出た。それ以外に何か言ってみろ?ん?」

~~~~っっ、ばかぁっ」

その言葉は、彼女がそれ以上何も言えないというバロメーターだった。どうやらこんなところも、全然変わっていないらしい。トントンと、ナツが僕の胸をたたく。抱きしめたまま、それすら受け止めて、僕は満ち足りた気持ちだった。きっと彼女は何度でも、僕のところにいられないと思って、逃げ出そうとするに違いない。何かしらに傷ついて、それでも隠そうとするに違いない。僕達は詰り合って追い詰め合って、きっと傷つくし、こんな風に寄り添ったことを後悔するだろう。それでも、彼女を失うことに比べたら、それは余りに些細だ。どこかで泣き崩れて、知らないままでいるよりは、ずっといい。

「何か久々に話したら疲れた、っつーか腹減ったなぁ」

「……何よ、それ」

「飯でも食って帰るか。ナツ」

そう言って僕は彼女から手を離す。ナツはふてくされたまま、じろりと僕をにらみつける。

「……何だよ」

「別に。杣木って意外とデリカシーないって言うか、いろんなことが平気なのよね」

「は?何がだよ?」

言われている意味がよく解らない。ナツはすねているらしい。ぷいとそっぽを向いて、

「別に。大したことじゃないわよ」

「大したことじゃないなら言うなよ。色々ややこしいから」

「ややこしくないわよ、別に。杣木はご飯で何でも片付いちゃっていいなーって、思っただけで」

何を言っているのやら。思って僕は溜め息をつく。そういうこいつも、腹具合で機嫌が左右される生き物だと思うのだが。それに、だ。

「俺の場合は片付いたから飯にするんだよ。気になることがあってみろ、胃が荒れるだろ」

僕はそう言って溜め息をついた。ナツはちらりと僕を見て、やっぱり不機嫌そうな顔をしていた。

「ファミレスでいいだろ?何かおごるよ」

その一言で、ナツの顔つきが僅かに変わる。が、すぐまた元のふてた顔になり、

「そっ、そんなんで懐柔出来ると思わないでよね!」

「……思ってないよ」

いくつの子供だ。思いながら僕は言った。それでも、そこに彼女がいることに安堵していた。

「メシ食ったら送ってくから。ところでお前、今どこに住んでんの?」

「前と同じで実家だけど?」

「まーニートじゃなー……親御さんも心配するよな」

暮れかかっていた太陽は、やってきた時よりも赤く染まって、西の空に沈もうとしていた。背にするように、僕達は歩き出す。

「でも俺も、ちょっと無茶したかもなー」

「無茶?」

「だってお前、結婚するって言ってたじゃん。やめさせて、何かすごいこと言ったからなぁ」

「……そういうこと平気そうに言わないでよ、恥ずかしくないの?」

「恥ずかしいけど……恥じることじゃないだろ」

僕はそう言って彼女の手を掴んだ。掴まれた彼女はそっぽを向いて、恥ずかしい所の騒ぎではないほどに顔を赤く染める。

「送ってったら、親御さんなんて思うかな」

「知らないわよ」

「あーでもまだ明日も仕事だからなぁ……だらだら食ってないで手早く済ませてくれよ?」

「解ってるわよ」

 

君の言葉のひとつひとつ 思い出して集めても

ぼくじゃ たぶん 見つけられない

君のなにもかも ひきうけるつもりでいた

そんなこと出来もしないくせに…

 

 

 

 

自分ツッコミ・……何かできてみました()なんなんでしょうこの話。つーかオチはどうでも良くて書きたかったのは杣木くんの「不安」とか「恐怖」辺り。この人たち昔書いたバカップルなんですが()スガさんを聞くようになってなんか書きたくなった二人なのでした。元々は大江千里本だったんだけどなーどこで間違ったかなー……杣木くんももっと「自分の発言に保険」みたいな人だったのになー……どうしたのかなー……ところで私はスガさんのこの手の歌がダイスキです。考えても仕方ないことでぐずぐず悩む自己完結型って……ちょっとはた迷惑ですけど()

 

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Last updated: 2006/11/19

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