スガネタ。

 

   イメージ小説「Thank You

 

最近ろくな事がない。ついてない、どころでは済まされないくらいだ。僕の悩みはその辺りに転がっている安っぽいものではない。何しろ、生きていることが耐えられないほどなのだから。そんなことを言うと大げさだの何だのと言われるかもしれない。けれど、家族を殺したいほど憎むようなその問題が、些細であると僕は思えない。この手にかけられたならどんなに気が楽だろう。殴られた直後に殴りれ殺せたら、どれだけ溜飲が下がるだろう。そんなに気分のいいことが、他にあるのだろうか。ここの所僕はそんなことばかり考えていた。家も出て、一人になって、だと言うのに、離れているそいつらが、今もこうして生きて恥をかき続けている、それが腹立たしくて仕方がない。僕の顔を見るとへらへら笑ったり、機嫌が悪いと当り散らしたり、挙句泣きついてきたり。そんなものを行かしておく価値があるのか、いや、あるわけがない。でも僕はそいつらを生かしているし、生きている限りそいつらはぼくの知らない場所で四六時中、恥をかき続けている。それが許される事だろうか。そんなことがあっていいのだろうか。

「でも、生きてるじゃない。殺してないでしょう?」

気に食わないなら全員、ずたずたに引き裂いたらいいじゃない、と彼女は言った。刺し殺すもよし、殴り殺すもよし、周りに転がる死体はさぞ愚かしくて、見ていて気分がいいだろう、と。だから彼女は僕にこう聞くのだ。どうしてしなかったのか、と。

「あいつらだけ楽にしてやっても、面白かないよ」

殺してやりたい、消してしまいたい。いなくなったら清々する。いや、きっとやつらの息の根を止めたなら、気分がいいに違いない。すっきりすること請け合いだ。でも、僕はまだ生きている。生きていて、苦しいままだ。世の中は侭ならないし、いいことも殆どない。僕は生きるためだけに、余計な事に時間を費やして、食い扶持のためだけに下げたくもない頭を下げて、その上ののしられる。褒めてくれ、とは言わない。褒められて嬉しくない事もないが、褒められる事なんて滅多とない。ついでに、その裏に何が潜んでいるか解らない。人を持ち上げておいてそれを取引に利用する、常套手段だ。そんな愚かしい事がわからない僕ではない。気分がいいことなんて、これっぽっちもない。

「腹が立つんだ」

生きている限り、行き続ける限り。この怒りは収まらないし、怒りに対する虚しさも、ただ積み重なっていくばかりだ。誰もわかってくれない、誰にもわからない苦悩がある。飯が食えて寝る場所があって愚痴を聞いてくれる誰かがいても、癒されない何かが僕の中にはあるのだ。大した不幸じゃない、そう言われることがどれほどの不幸なことか。生きている、ただそれだけでこんなにも苦しいのだ、飯が食えようが病気が治せようが金が余っていようが手に職があろうが、そんなことは関係ない。それは僕のせいじゃない。持ってないやつらは、巡り会わせが悪いんだ。それなりにでも、努力しないのが馬鹿なんだ。恵まれているように見えても、苦しくてたまらない人間もいる。こんなに苦しいのなら、死んでしまったほうがいいと思っているヤツも、五万といる。僕よりもっと物質的に恵まれていても、痛いほどの不幸を感じている人間は、大勢いる。

 

「それで死のうと思って」

僕がそれを話したのは、天気のいい春の昼下がりの、ビルの屋上でのことだった。高めのフェンスで囲まれたその広い屋上には、僕と彼女の他にも沢山の人間がいた。会社は昼休みで、僕らのほかにもそこで弁当を食べているヤツや、昼寝しているヤツがいた。中には屋上だと言うのにバドミントンなんかを持ち込んで、それに興じているヤツらもいる。僕はフェンスの網目を握ってその下を覗いていた。彼女は呆れ顔で大きな溜め息をついた。

「また?

「別に、この前そうしたってよかったんだ。タイミングが悪かったから、まだ生きてるけど」

彼女は僕を「気の病」だと言う。何でも死にたくなる類の病気なんだそうだ。死にたくなる病気というのも不思議な感じだが、今まで何度もしている彼女とのこの問答は、その症例の一つ、発作なのだそうだ。

自殺願望吐露症候群、というのが彼女がつけた僕の病気の名前だった。死にたい死にたいと繰り返して、結局死なない。死にたいと言う事で気がまぎれて、本人はそれで納まるのだが、周りは泡を食ってパニックに陥り、いい迷惑な病気らしい。が、僕は回りにそれを吐露する事はしないし、聞いている彼女も、今更混乱する事もない。

「じゃあどうやって死ぬつもり?」

うんざりした口振りで彼女は言った。僕はフェンスの下を見ながら、

「ここから落ちるのが一番楽そうだ」

「今するの?」

「とりあえず、定時までは働くよ」

「死ぬんだったら今ここで死んだほうがいいんじゃない?時間が過ぎると、決意も揺らぐわよ?

彼女は、うんざりしたように言った。僕はそれにも慣れて、死ぬと言う言葉や思いがすんなり外に出てきても、それにも動じなくなっていた。自殺願望を持ち始めた初めの頃は、今よりもっと動揺した。いや、高揚もしていた。そのことに甘美な魅力さえ感じていたこともあった。全ての終わりに美しいものを感じる、というのは、けれどすぐにやめた。そんな風に飾ったり格好をつけたりするのが馬鹿馬鹿しいと気付いたからだ。死は、死以外の何でもない。体の機能が完全停止するという事は、脳だって全く反応しなくなるわけだし、意識はここにはもうないのだから、熟睡したまま起きないのと大差ない気がする。ただ、色々やってみて解ったのだが、生命活動を無理やり止める、というのは簡単なようで結構大変な事なのだ。それが自死であろうと他殺であろうとかかわらず。

「手伝わせる気はないから、知らないフリでいてくれていいよ」

「そうね、最初からそのつもりでいるけど」

自殺するのを手伝わせると、手伝ってもらった恩人を犯罪者にする、という世の中で、それを一人でなす事は、簡単なようでなかなか難しかった。何しろ自殺宣言をした人間を止めない、というだけで、罪というほどでもないが周りに糾弾される事もある。なんと言うか、色々と手続きも込んでいる。

「あんたの自殺手伝って幇助罪、なんてジョークにもなんないわ」

「だろうね」

「でも、あんたが死んでも、あんたが殺したいほど憎んでる家族は、まだ生きてるじゃない。それには腹が立ったりしないの?」

怒りながら呆れながら、彼女がそんなことを言った。僕はやっぱり笑いもしないで、

「寝てる時にはそういうものも忘れてる。それと一緒だよ」

「死んだら、関係ないって?」

「そうだね」

ごく普通の家庭に生まれて育った、そのはずなのだが、僕は家族が大嫌いだった。そしてそこにいることにうんざりしていた。学校を出て家を出て、それでも絡みつく柵が、重くて叶わなかった。振り返ればそこに同じ血の人間がいて、時に薄笑いを浮かべながら、時に嫌悪を顕しながら、僕を見ていることに腹が立った。怒らせておいてその直後、媚でも売るように謝罪する、その態度が汚らしく見えた。嫌われたくないのか、怒らせたくないのか、構いたくないのか触れたいのか、僕にはわからなかった。気に入らなければ放置して欲しいのだが、気に入らなくても無視してはくれない。それが家族だと言うなら、僕にはそんなものはいらなかった。憎んでいるならそれでいい、愛してくれとは絶対に言わない。人の気も知らないで、と叫びながら人の気持ちは踏みにじる、そういう存在なら、いないほうがずっとましだ。育ててもらった恩がどうのと言うなら、育てなきゃいい。腹を痛めたと言うなら、痛くないようにすればよかったのだ。どうせいずれ人は死ぬのだ。その時期を自分で作って何が悪い。

「仕事も、面白くないし。腹がへって飯食うのも、面倒だし」

「でもあんた、今さっきお弁当食べてたじゃない」

「コンビニのおにぎりだけどな」

僕は下を眺めながら少し笑った。そして、フェンスに額を当てるようにして言った。

「別に俺なんかいなくても、地球も回るしな」

「そうね、あんたがいなくても、会社も動くしね」

「でも今飛んだら、会社止まっちまうだろ?

僕は笑っていた。何が可笑しいのかよく解らなかった。いや、解っている。僕がいなくても明日はやってくるし会社は動く。なのに僕がここから飛んだら、多少なりとも会社に影響が出るのだ。このフェンスを上って乗り越えて、増したに落ちると言うだけで子伸びる目かげて警察や、下手したらマスコミがやってくる。そうなると多少なりとも会社はその対応をしなければならなくなって、そのために一時的ではあるがその経済活動に影響が出るのだ。とは言っても、ここは大きな会社ではないし世界経済とも関係がない。結局影響は微々たるものだ。いてもいなくてもいいものは、哀しくもあるが同時に気楽だ。いなくなってもいいのだから、ここがいやなら消えればいいのだ。居続けなければならないとかいうプレッシャーもない。無論、柵など欠片もない。

「あんたさぁ……いつも言うけど、生きてて楽しかったり嬉しかったりって、ないの?」

側らの彼女は、いつものように呆れた、疲れた声で僕に尋ねる。僕は振り返りもせずに、

「あっても、それもどうでもいいから死ぬんだろ。拘ってたら死ぬかよ」

「何か楽しい予定とか、ないわけ?

「楽しい予定より、生きてる事のほうが苦痛だ」

「だったらその前にあんたの嫌いな家族、皆殺しにしたいとか思わないの?」

元々彼女は、僕の自殺を止めようとしていた。けれど二度、三度と、彼女の言うところの発作を起こすにつれ、そうすることに飽いた、というより、僕に呆れ始めていた。どうせ死ぬ気なんてないんだろうと聞かれたこともしばしばだ。生きている、ということはそういう事なのかもしれないが、それもタイミングの問題なのかもしれない。そして時経るごとに、彼女の言い草も過激というか、酷さを増していく。そして、僕らはそんなやり取りに慣れてしまっていて、何を言われても、言い返しても、大して動揺もしない。最初の頃の彼女はもっと可愛かったものだ。そして僕も、自分の言葉にもっとうろたえていた。

「手間だ。それに、死ぬ前に見つかったら捕まって繋がれるし」

「五、六人殺したりしたら、法廷で裁かれて楽に死なせてもらえるかもよ?」

「何十年も待たされてから?」

セラピストになりたかった、という彼女は、今はただのOLだ。そのなりたかった辺りが、こうやって僕の相手をしているのかも知れない。

「狭いところに閉じ込められて臭い飯食って死ぬの待てってか?」

そんな風に言うと彼女は押し黙ってしまった。奇妙な問答の最後は、いつもそんな具合だった。僕は笑ってフェンスを離れた。そして、そこに残した彼女に言った。振り返りもせずに。

「じゃあな」

「じゃあなって……何よ」

「これが最後かもしれないだろ。ここで話すの」

「……オオカミ社会人」

不機嫌な声で彼女が言った。狼男、だと意味が変わってしまうとかで、僕は時折そんな風に呼ばれていた。

 

何しろ、世の中と言うものは渡り辛いものだ。自分から進んでトラブルに出会おうと思っているわけでもないのに、そいつらは真っ向から飛びかかってきたり、或いは背後から忍び寄ってくる。そうしておいて背中を向けようとしたり、逆に、避けて通ろうとする僕にしつこくからんできたりする。平穏無事を願って大人しくしているというのに、それを許してくれない。なんとも侭ならない話だ。しくじりたくない事をしくじってみたり、それに沈んでいるところに更に追い討ちをかけられたり、やけになってむしゃくしゃしているところに別の厄介ごとがおきたり、触れられたくない部分に触れられたり。どうにかして平穏無事、というものを維持したいと言うのにできずにいる。特別目立つ事をしてもいないのに、誰かに戯れに陰口をたたかれたり、そのお陰で自分の評価が一人歩きしていたり。そしてそんな沢山のものが一時に、堰でも切ったように襲ってくることがある。自分がいなくても世の中は回っていくし、国が滅びるわけでもないし、葬儀屋と家族が一週間ほど忙しいだけで大した混乱も起こらない。いやなことは他にもたくさんある。上手くいけ、と願うほどの事でもない些細な事に蹴躓いてみたり、進んで欲しくない何かが、坂を転がり落ちる石のようにころころと転がっていくこともある。その上、いいことが何かわからないような日常なら、生きていても仕方がないと思って……いや、それが無駄だと感じてどこが可笑しいのだろう。自分が生きている、そのことが無駄だと思ったら、死んでも構わないと、そう発想する事はどこか変だろうか?

 

「おかえり」

「……なんでお前、ここに……」

残業を二時間ほどして部屋に帰りつくと、ドアの前に彼女が座り込んでいた。会社から直接ここに来たらしい。通勤用のスーツにパンプス、という格好でしゃがみこんだまま、彼女は薄暗いアパートの軒下で、僕を睨んで言った。

「生きてんじゃない」

「あ?」

「だから、帰って来てんじゃない」

「……ああ」

口調はいつものように、面倒くさそうでうんざりしていた。僕はその言葉に昼時の会話を思い出し、部屋の鍵を開けながら言い返した。

「忘れてた」

「忘れるって……」

「忙しくてな」

ドアを開けて玄関の明かりをつける。彼女は立ち上がって僕の背後で怒りのこもったため息をついた。

「忙しくて忘れるようなレベルな訳?」

「悪いかよ」

意識としては持っている、けれどそれは時折容易く忘れられる。死というものは、そういうものだろうに。日ごろ四六時中それを考え詰めでいられる人間なんていないだろう。哲学者ならともなく、一般人の僕達はそういうわけにはいかないのだ。何しろそれ以前の「生」を維持せんがために。ついでに、本能ゆえに。

「本当、あんたって……」

「何だよ?」

最初の頃にはさしもの彼女も「心配して損した」だの何だのと言っていたのだが、僕が、そう言ったところで改まらない相手だとわかったらしい。小言すら言わない。顔を見て腹が立って、文句も言えずに帰るなら、来なきゃいいだろうに。思いながら僕は振り返る。ドアの中に彼女はいて、僕に続いてパンプスを脱ぎに掛かっていた。

「何?上がってくのか?」

「うるさいわね。こっちは外で二時間も待ってたんだから、お茶の一杯くらい出しなさいよ」

「別に頼んでねーよ」

「あー、お腹すいた。何か食べるもの、貰うわよ」

彼女はパンプスを脱ぐとキッチン、というよりも冷蔵庫に向かって歩き出す。そしておもむろにそれを開けると、

「何あんた、バナナ冷やしてんの?黒くなっちゃうわよ?」

とか言いながら、そのバナナの房を取り出して一本もぎ取り、勝手に皮をむいて食べ始めた。僕は溜め息をつきながらそれを見下ろし、ジャケットを脱ぎながらそんな彼女に尋ねた。

「お前、メシは?」

「まだよ」

「……牛丼でよきゃ、おごるよ」

「あら、気が利くわね」

もぐもぐバナナを食べながら、彼女が笑う。僕は重い息を吐き出し、締めていたネクタイを無理やりに解いた。

 

僕の自殺予告の後に彼女が部屋にやってくる、というのは、最初の頃からの恒例になっていた。当初は当然、心配して様子を見に来たり、帰ってこなかった場合に備えて、の事だったのだが、ここのところ、それは習慣としか言いようがなくなっている。そしてたいていの場合、彼女は僕に夕飯をおごられ、そのまま家まで送って行かれることになる。

「悪いわねぇ、いつもいつも」

「そう思うんなら来るな」

その夜も、彼女は僕に牛すき定食をおごらせ、満足そうな顔で家路についていた。送る、と言っても大した距離ではない。歩いて三十分ほどだ。タクシーを使ったことも数度あるが、ここまでの習慣になるとタクシー代も馬鹿にならない。歩く事は、お互いに嫌いではなかったし、その間も、ケンカのような討論のような不思議な会話をしていた。大抵が彼女の説教ではあったが。

「あんたもいい加減大人なんだから、ちょっとしたことで死ぬ死ぬ言うんじゃないわよ。はた迷惑なんだから」

「うるせえよ」

泊まっていったことはないし、引き止めたこともない。部屋で食事を作ってくれたことも、これまたない。何か口実を作って外へ呼び出したこともないから、食事をしに行っても牛丼かラーメン程度だ。会社の帰りに飲むこともあったが、いつも安い定食屋か居酒屋で、僕らの間にはどこか殺伐とした空気しかなかった。いや、最初の頃はもう少し、潤った何かがあったのかもしれない。けれど今となっては、潤いの一滴も見当たらない。叱られるような僕と、怒っているような彼女が、並んで互いに言いたい事を言い合い、罵り合う、そんな感じだ。

「余計な事すんなよ、飯代だけでも馬鹿になんねーから」

「何よ。毎回「おごる」って言うのはそっちでしょ?」

「腹すかせて文句が多いのが押しかけてくるからだろ?」

「だから「悪いわね」って言ってるじゃない」

「ああ、悪い」

腹が減るならさっさと家に帰ればいいのだ。僕の部屋になんか来ずに、どこかもっと別の場所で別の誰かと、小洒落た飯でも食ってりゃいい。そう思うし、そう言ったことも何度もある。だと言うのに彼女はそれをやめないし、僕も毎回、飯をおごって家まで送っていく。おかげで何だか最近は両親公認の彼氏、みたいになっている。帰宅が日付変更後であっても、僕が一緒にいるなら大してとがめられない、そんなレベルにまでなっているらしい。だと言うのに、それを利用して余所で遊んでいたりするかというと、そうでもないのだ。変な女だ。

「ねえ、うるさいかもしれないけど」

「あ?」

彼女の家が近づく。その門扉が見える頃、彼女が言った。

「ちゃんと明日も会社、来なさいよ?」

「は?」

「あたしだって、今から黙って死なれたら、寝覚めが悪いでしょ?」

彼女はそっぽを向いて、ふて腐れた顔で言った。僕は目をしばたたかせ、そんな彼女を見ながら黙っていた。

「死にたきゃ死んでもいいけど、黙って死ぬ、なんて卑怯なまね、するんじゃないわよ?」

「……何だよ、それ」

時折、彼女はそんな風に奇妙な事を言う。聞き返すと、彼女は至極言いにくそうに、

「だから……今までこれだけあんたの虚言に付き合わされて……いざ本番に知らされない、なんて……馬鹿みたいじゃない」

「何が?」

言いたいことが良くわからない。死にたい時に好きに死んでいいなら、何も報告なんかいらないだろうに。僕は思って立ち止まった。彼女は、怒ったような目で僕を振り返った。そして、喚く、というか怒鳴るように言った。

「だから、黙って死ぬなって言ってんの!見届けてやるから、あたしに一言断ってからにして」

何を怒っているのか、よく解らない。僕は首をかしげて、興った彼女の顔を見下ろしていた。彼女はしばらく僕を睨みつけていたが、すぐにも、

「もういいわ、どうせあんた、オオカミ社会人だもんね」

そう言って大きく溜め息をついた。僕は何が何だか解らないまま、そんな風に言った後、意気消沈した彼女を少しの間見ていた。

「……って、言っても……わかんないだろうし」

「何?よく聞こえない……」

「聞こえなくていいの!」

聞き返して、怒鳴り返されて、なんなんだと思う僕を置いて彼女は駆け出した。そしてぼくから少し離れると、叫ぶように僕に言った。

「あんたが勝手に死んだりしたら、タダ飯せしめる相手がいなくなって困っちゃうわ!」

「……何だそりゃ」

僕は一人そこにたたずんで、眉をしかめる。そしてそれから何となく言ってやった。

「タダ飯だったら他でせしめりゃいいだろ?それとも何か?俺におごられたいのかよ?」

返事はなかった。彼女はもう振り返らず、視線の先でドアホンのボタンを押していた。

「……変なヤツ」

僕はきびすを返し、そのまま自分の家に向かって歩き出す。死ぬことは、考えていなかった。毎度の事だが、彼女を送った翌日には必ず会社にいなければならない。一度、たまたま風邪を引いて休んだらその日の昼休みにとんでもない顔をして襲来された。部屋でガスでも吸って死んでいやしないかと思ったそうだ。その時も、彼女は僕が病人だというのに食事を作ってくれることもなく、コンビニで買ってきたおにぎりをいくつか置いて、昼休みが終る前にあっさり会社に戻ってしまった。以来、おちおちサボる事もできずにいる。何だかんだ言って心配は、させているようだ。どうでもいいようなことを言っていても、あちらは気が気でないこともあるらしい。そろそろ慣れてもいいのだが、僕の自殺願望がなくなりでもしない限り、それは終らないようだった。

どうせ他人の命だ、好きにしたって構わないだろう。僕が生きていようが死んでしまおうが、世の中は変わらないし、世界も滅びない。いやなことがあっていいことが少なくて、待っている未来もないなら、生きている意味もない。気に入らない世界を滅ぼすことができないなら、こちらがそれに決別するまでの事だ。それでもなお生きているのは、タイミングが合わないから、としか言いようがない。

僕はいつもそれを逸している。死ぬ前に儀式を作って、そのためにその機会を失っている。それは一体どういうことなのだろうか?

幾度となく思ったその疑問を考えながら、僕は帰途に付いた。深夜の、ひんやりした空気の中、高く遠い空から月が辺りを照らしていた。そう言えば彼女は、こんなにいい月の夜だと言うのに、それを見ようともしないで人に文句ばかりたれていた。今度またこんなことがあったら、月ぐらい見るように言ってやるべきか。そうしたら、きっと腹の中の憤りも、多少は治まるだろうから。ということは、僕はまだしばらくは死ねないのだろうか?次のこんな機会、月の出た夜に彼女を家に送り届けるまで。その道中でそれを示してやるまで。それは一体いつのことになるだろう?いや、そんな機会が訪れるのだろうか?第一、勝手に死ぬなという彼女の言いつけ(というより要望か?)を、僕は守れるのか、守る気があるのだろうか?

「……帰って、寝るか」

考えていたら妙に疲れて、僕はそんな風に呟いた。明日も仕事だ。早く帰って休まなければ、響く。それだけを思って僕は歩き続けた。

 

そばにいて そばにいて そしてぼくの味方になって

許さない 許せないけど 君にいてほしいの…

 

Thank You・終

 

自分ツッコミ・……久々に更新です。先日「僕らの音楽2」のエンディングでちらっとスガさんの「今日の日はさようなら」歌うところを見て「あっ、書かなきゃー!!」と思って何か始めてみました……当初の予定と全然違いますがな()にしても久々の更新だわーだってシカオちゃん最近ネタが「アニソン」とか「かつーん」しかない……あ、福耳があったか。でも福耳も特に買う気はー……フガフガ。さて実は「Thank You」は二度目です。そして「四百字詰め三百枚くらい」の壮大な夢があります。そして結局あのフレーズのために書くのです……飽くまで夢なので予定もくそもないんですが……にしても何ゆえこんなに色気のない話になったやら……本当はもっと色っぽく攻めたかったのになー……。

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Last updated: 2006/04/18

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