つれづれにだらだら雑記

諏訪最新レポートをお届けします(笑・誤)

 諏訪大社前宮リターンズ偏見レポート()

というわけで、こちらの頁は「それ行け!!諏訪大社大作戦」の約一年後に、

何か勢いで行ってきてしまった諏訪の感想文なのですが、

大体諏訪大社のことは「それ()」の方に書いてありますので、

今回の雑感と言うか再発見というか、

何かそんな感じになっております。

諏訪大社の概要がお知りになりたい方は、

私ので良ければそちらの頁をまず読んでいただければと思いますが、

……けっこーアラが目立ちますんでねー……。

お手数ですが各自でお調べになることをオススメします。

阿呆な旅日記でしかないからな、オイラのは。

 

さて、今回の諏訪大社ですが、

思うところがあって前宮をじっくり見てまいりました。

何を思ったかと言うとですね、別に霊感とか関係ないのですが(多分)

「あーここキモチイイなー好きだなー」と、

そんだけの話なのですが。

気候も良くて風もそよそよ吹いてて、

前宮は観光客も少なくて(自分も観光客だけど)

とても居心地が良かったので。

 

前宮の説明だけちょっとしますと、遺構です。

諏訪大社と言うところには大祝(おおはぶり)と言って、

神様の依代(よりしろ・霊媒?)になる人が居たそうです(今はちょっと違うらしい)

かつてその大祝の一族が暮らしていた場所、

そこが前宮です。

現在では神社のようになっています。

 

ちょっとタワゴトですが、

年度初めのテレビ編成の入れ替えのころに、

いわゆる「トンデモテレビ」がやってまして()

そのエンディングぎりぎりに一分くらいですが、

「ユダヤの十支族の子孫が諏訪に」とか言う、

解る人にしか解らない爆笑ネタをやっておりました。

ヘキサグラムがどーのこーの、モレヤがどーのこーの、って、

笑う以外にどうしろと()

諏訪というとそんな訳でそんな事も過ぎったのですが、

そこんとこはおいといて。

 

なんでこんなに前宮にこだわるかと言うと、

前宮というのは諏訪の大祝の住居跡なのですが、

その大祝の補佐役(次席神官?召喚師?)に神長官という役職がありまして、

その神長官を世襲していた守矢氏というおうちがありまして。

何ですか私の得てきた情報によると、

それ以前はタケミナカタの入ってくる前の諏訪の神様を奉祭していた、

その末裔だと言うじゃありませんか。

 

あーここで「何、結局トンデモなの?」とか、

そういう逃げ方されると困るんですけど。

……いやまあ確かに眉唾ではあるんですけどね。

でもこの諏訪というところには、

現在の神道祭祀と一線を隔した(というとちょっと大袈裟ですが)

原始宗教的な何かが残っているのも事実なのです。

……ええ「トンデモ」と言われても仕方ないですよ。

でも好きなんだからしょうがないじゃん!!(開き直り)

 

……そんな訳でちょっとトンデモなので、

「トンデモはなぁ」という方はこの辺で、

ブラウザの「戻る」辺りをクリックして戴くと言うことでー()

トンデモネタを気にしない方だけこの先に目を通して戴きますよう、

何卒一つよろしくお願い致します。

 

さて、前置きというか言い訳が長くなりましたが、

私は前宮ののどかな感じがすごくスキです。

中でも一番好きなのが溝上社、コシノヌナカワヒメさんの御社の付近。

何かここにいると気候もあったんですけど、

なんかキモチイイというか、

よそ様のおかーさんと赤さんにも幸いあれ、とか、

そんならしくない事さえ思えてしまうのです。

で、ここはいいところだなーと思って、

じゃあちょっとじっくり見てみましょうと思って、

見てきました。

楽しかったです。

で、前宮をじっくり見た後に、

前回見逃した「茅野市神長官守矢資料館」というところに行って来まして、

ここがすごく楽しかったのです。

 

前述にもありますが、

諏訪はタケミナカタと言うか、出雲系の神様が入ってくる前には、

諏訪原住(?)の土地神様を奉祭していたようで、

その神様は「洩矢の神」と仰るそうです。

その神様の末裔が守矢氏、

とすると「トンデモ」なんでアレですが()

恐らくその「洩矢の神」の巫覡ではないかと。

タケミナカタ、もとい出雲族入植以前の神様の巫覡の末裔。

……どのくらい続いた家なんだろー、とか、

思うと色々ジレンマもあるのですが、

そこのところはちょっとおいといて。

 

とにかく諏訪の信仰にかかわっていた古い家があって、

表札に「神長官 守矢」と書いてあって(実話)

史料館があったわけです。

大人百円なのでそんなすごい規模ではないですが、

敷地内の色々は百円では見られない代物でした。

敷地内に「祈祷所」があります。

敷地内に屋敷神さんがらっしゃいます。

御柱が立っています。

そこまでは神職さんのおうちなのでいいとして。

 

家の裏に古墳があります。

小さいのですが、守矢氏の古墳だそうです。

個人のおうちの昔のお墓が古墳。

驚きませんか?私は驚きました。

更に。

 

「みさく神」の神社がありました。

みさくじん……ミシャクジ様!!

 

あー、断っておくのをすっかり忘れていましたが、

私こっちのネタに入るに当たって世に言う「女神転生」とか、

そういうの全く噛んでませんので念の為。

様呼びするのはいつものように「何となく」です。

でも呼び捨てにも出来ないけどさ。

なんつーか色々思うところがあって。

ちなみに件のゲームは存在は知ってて、

そーゆーヲタ臭い名前が沢山出てくるのも知ってましたが、

……やり始めたら腹が立つんじゃないかなー。

と、知らないながらに思っておりますよ。

 

「みさく神」は出雲族の信州への入植に伴って、

追いやられたと言うか倒された神、ということになっております。

その神話においてはタケミナカタは英雄です。

タケミカヅチに追いやられて諏訪に逃げ込んだ、なんてとんでもない。

ばりばりに強かったからこそ、この地に入ることが出来たようです。

 

とは言いつつも、諏訪には今でも「みさく神」の気配だらけです。

「ミシャクジ」というのは「御赤蛇」と言う説があります。

説というより読んで字のままですな。

諏訪大社では「蛇は神様そのもの」と思われていたようで、

狭庭にその姿が現れると掃除さえ忌んだ、とか。

私は「タケミナカタ蛇説」を読んだ事も聞いた事もないのですが、

九分九厘この赤い蛇はミシャクジ神だろうと思います。

まー「御石神」で「ミシャクジ」と仰る方もいますが、今回は蛇と言うことで(コラ)

でもって更に「みさく神」=「洩矢の神」ということでお願いします(お願いって……)

 

さて、薀蓄もひとまず飲み込んでいただいたところで、

やっとこ今回のレポートの本題に入りたいと思います。

遅い?(遅すぎ)

でも「守矢史料館に行ってみさく神の神社と小さいけど古墳があってモエー」

って書いて解る人なんてあんまりいないと思うのですよ。

あんまりどころの話じゃなくて全然いないよなー……。

 

ええ、「みさく神」の神社がありました。

ちょっと斜め後ろくらいに件の古墳がありました。

古墳はさておき(何しろ古代豪族なので大きな墓は当たり前)

神社です。

 

御柱が。

 

諏訪というところは神社という神社の殆どに御柱、という、

余所の人から見ると一風代わった土地柄です。

ないところは多分諏訪大社の境内社くらいのものです。

個人宅の屋敷神の祠でも御柱です。

これを「結界」と仰る方は多いのですが、

私もそんな風に見ているのですが、

 

ちょっと待て、タケミナカタ以前の「みさく神」にも御柱って。

これって諏訪大社が今のタケミナカタ&ヤサカトメの神社になる前からのスタイルなのか?

 

で、これを仮定とすると、ですよ。

 

御柱は元々は「みさく神」の周りに立てるものだった。

 

ということになるんじゃないのかと、思ったわけです。

とは言え仮定はあくまで仮定で、しかも連想ゲームと言うかこじつけなんですが。

 

御柱は元々は「みさく神」の周りに立てられたものだった、として、

柱の天辺には「薙鎌」(鳥の頭みたいな形の鎌)がささっていた。

(大社のものにはありませんでした。こちらの御柱のこと。

でも大社の御柱は先が杭みたいになってます)

……何かこれって「みさく神」を出られなくしてあるみたいだなぁ。

そうするとこの「御柱」の結界は「閉じ込める」為のものに見えないか?

 

……あくまで私の私的な見解なんですが。

入植者が諏訪に入ってきて、

原住の人たちは平らげられた、のでしょうが、

「みさく神」も守矢氏も未だに残っていると言うか遺されていると言うのは、

……結構とんでもないアレなんではないかと。

この神様に関係するものを潰しきれなかったと言うか、

結局折半(共存)するしかなかったのかなあと言うか、

何か複雑なものがあったんではないかと思われます。

 

しかし、もう一個ちょっと気になることがあって。

神社というか神道の基本なのですが、

「シンの御柱」と呼ばれるものがあります。

シンの字は色々というか、

その人の認識で字面と意味が変わってくるみたいなのですが、

確定できないのでカタカナ表記にしておきますが(??)

これは多分(多分かい)「宇宙の中心」を象徴するものでありながら、

「神様の拠り憑く所」でもありまして、

一説によると「ぶっちゃけ「蛇の巻きつく柱」」らしく。

……ぶっちゃけすぎててロマンがー……(TxT)

 

じゃなくて。

するってーと何か、結界と言うよりやっぱり依代でいいのか?

 

諏訪の御柱は、世ではやっぱり(?)御神木なので、

「結界」どーのこーのというのは偏見なのですが(と私は思う)

しかし入植者以後の信仰はタケミナカタで、

誰も「蛇が」って言ってくれない(「くれない」って……)

 

わー、こんがらがるー。

でもおもしれー。

 

とまあ、長々長々書いてきましたが、要するに、

「守矢史料館に行ってみさく神の神社と小さいけど古墳があってモエー」

の中にこれだけの妄想が含まれていたのでした。

もうちょっと補足するとですね。

 

前宮の遺構というのがすごいこと沢山あるのですが、

その中に「御室社」「蛇塚跡」と呼ばれるものがありまして。

「御室社」はかつてそこで「蛇の脱皮」を模したような神事が行なわれていた後で、

「蛇塚跡」は古墳なんだそうです。

……蛇だよ、また蛇。

ここまでくどくど来たら「洩矢の神は蛇決定」だと思いますし、

専門家の中にもそう見ておいでの方がいらっしゃいます。

神事は、この手のネタには良くある事なのでおいといても、古墳ですよ。

「蛇塚跡」でしょ?「古墳」なのに!!モエー!!()

 

まー何ですよ「神様は蛇説」みたいなのがマニーさんの間では、

半ば常識の業界(?)ですが、

そんな感じにこんな感じで楽しい諏訪なのでございました。

 

しかしアレですよこんなとこのこんなものなんて、

ちゃんと本読んでお勉強してれば「当たり前!!」なんですけどね。

でも本だけじゃなくて現地で何かを感じるのも、

多分大事なんだよ!!と言っておきます。

守矢史料館には「御頭祭」の供物を模して、

鹿の首とか猪の首とか、

兎の串刺しとか、ありましたよ(剥製だけど)

なんつーか肉肉しい(?)お供えですな。

……若しかして「ユダヤ」のアレなナニはこの辺の肉っぽい供物から来てるのか?

ユダヤは羊肉(ヤギ?)だと思いましたが。

 

そんな訳で諏訪前宮偏見レポートでした。

次回はちゃんと地図作っていこう、と思うけど、

その地図もいい加減なんだよなー。

あーどーすっかなー……。

 

 

追補と言うかお願い・上記文章に当たりご意見ご感想不服申し立てなどありましたら、

「こちら」掲示板までお願い致します。

一応参考資料(出版物)は以下のものです。

書いてあっても抜けている部分があったらそれは私が阿呆な所為です()

 

「神道の本」 学習研究社

「日本の神々の辞典」 学習研究社

「蛇-日本の蛇信仰-」 吉野裕子 講談社学術文庫

「神長官守矢史料館のしおり」 茅野市神長官守矢史料館

 

 

 

 

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Last updated: 2007/05/05

 

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